石井紘人のFootball Referee Journal

【連載第二回:取材記】西村雄一

【連載第一回:取材記】西村雄一 ~十字架を背負わされたレフェリー

~第二章~

■世界のレフェリーの一人に

 

「知人からブラジルとオランダなんて緊張するだろ?といわれましたけど、全然そんなことはありませんでした。前の晩もよく眠れましたし(笑)。自信を持って臨めました。」 

 

長い歴史のなかでも、二回しか実現しなかったブラジルvsオランダ。

1994年アメリカ大会準々決勝では、後半に入りブラジルがロマーリオ、ベベトのゴールで2点を奪う。しかし、オランダも直後にベルカンプ、さらにはアロンのゴールで同点に追いつく。炎天下で消耗を強いられ、打ち合いになった試合は、ブランコのFKでブラジルが逃げ切る。

1998年大会準決勝は、1-1のままPK戦までもつれ込み、GKが好セーブを連発したブラジルがまたもオランダを退けた。

そのどちらもが名勝負で、審判の神経をすり減らせるものだった。そんな三度目の勝負の笛を西村が鳴らすこととなった。

 

1分、クロスに反応したファンペルシへのチャージは正当なチャージということでノーファウル。直後、クサビに対して後ろから押したということでオランダのファウルをとる。注意も与え、ファウルを受け入れさせ、かつ意識もさせる。2分、ロッベンをひっかけたファウル。エキサイトする選手たちに注意を与える。

ファウルが起こる度に、選手たちが審判にではなく、相手に対してエキサイトする。非常に難しい試合になりそうな予感が垣間見えた。3分にも遅れてチャージしたブラジルのファウルをとる。このように細かくファウルをとり、選手たちを安心させる。
 

迎えた14分、最初のポイントが来る。抜けようとした所をボールのない所でひっかけたヘイティンガに警告。詰め寄ってくるヘイティンガを左手で制し、別のオランダ人選手には説明をする。

 

「まずオランダが(激しく)しかけてきて、ブラジルが受けてたったんです。それで私も厳しく行くぞ、と意思表明するつもりでした。それで、1発目のイエローカードのシーンは“来た”と思いました。ボールのないところでオランダのDFのファウルだったんですけど、自分でいうのもなんですけど、よく見ていたと思います。」 

 
15分、ロッベンへのファウルをとり、ブラジル選手がその後ボールを蹴ると、厳しい表情でマネジメントする。すると、選手が‘聞こえなかった’と謝罪する。23分には異議を唱える選手にジェスチャーを交えて、‘私が見ている’と説明し、選手の不安を打ち消していく。また、アドバンテージも多く採用し、わかりやすくレフェリングしていく。

狙い通りのコントロールができていた。

 

「前半、ブラジルが素晴らしい先制点(フェリペメロの超絶スルーパスにロビーニョ)をとって、この日のブラジルは本当に強くて、まだ何点も取ると思いました。」

シビアな試合ということもあり、選手たちが判定に対しプレッシャーをかけてくるが、まったくブレない。

「ブブゼラの音がすごくてほんのこれくらい(手で5mほどを指す)で他には何も聞こえないんです。僕なんかは怒鳴られても何も感じません。今の日本の審判員たちは、プレッシャーには動じませんよ。」 

毅然とした姿勢と、安定したレフェリング。この日、NHKでのTV解説を務めた山本昌邦氏は何度もこう口にした。

「いやぁ、素晴らしいレフェリングですね。」

50分、ロッベンへのファウルに対して、オランダ選手がカードだと異議を唱えるが、寄せ付けない。ビックプレーヤーにも動じず対応する。審判としては当たり前だが、日本人がそのようなポスチャーがとれるということは一昔前なら考えられない。これから審判を目指す若手に勇気を与えるシーンだった。
64分、カウンターに向かったロビーニョのドリブル突破を引っ張ってとめたデヨングに警告。69分にはFKのポイントが10m近く違かったため、71分にもオランダのスローインの位置が違かったためやり直しさせる。

その際、ブラジル選手に時計は止まっていると教える。

 

「選手はなにを不安に思うか。ブラジルの選手は、あの時、時計に対して不安を持ったわけですよね。だから、僕はそれを打ち消さなければいけないと思って説明したのです。」
  

妥当な判定で迎えた73分。

「オランダが逆転をしたことで、ブラジルはなんとしても勝利をというプレーになる。ゲーム展開が厳しくなると。ハーフタイムに控え室戻ってからも、何か起こるのではないかと思っていた。」
ロッベンがフェリペメロに足を掛けられファウルをされて倒れた後、ロッベンが悶絶する。

「最初はロッベンが仕返しをするのかと思って、じっと見ていたら、フェリペメロが踏みつけた。その瞬間にレッドを決めて、走って近づいていきました。ああいう場面では選手に囲まれないように、後ろに誰も立たない位置を取ります。そうしないと選手の押される可能性が高まりますし、そうなると余計なカードも増える可能性がある。」

なにが起こったか一瞬わからなかったが、西村はフェリペメロがロッベンを踏みつけていたのをしっかりと見ていた。妥当な判定、かつ素早い対応。非常に勇気を持った判定といえる。

ここからブラジルが慌てはじめ、今大会の強さが嘘のように機能しなくなる。
ブラジル勝利の流れのなかで、事故のようなオウンゴールで同点に追いつかれ、さらに逆転を喫し、退場者まで出してしまう。典型的な自滅のパターンだ。逆にオランダはそんなブラジルに対して勢いにのる。ブラジルはなぜ上手くいかないのかわからない。苛々が向かうのは、もはや西村しかなかった。しかし、それでも西村はブレない。ブラジルを突き放すこともなく、異議も受けすぎず、絶妙なバランスでレフェリングする。
76分、ピッチから出たボールを蹴ってリスタートを邪魔したオーイエルに警告。ここでカードを出さなければブラジルが荒れてしまうというような場面。試合をコントロールする上で重要な判定だった。

 

「この時、間違って赤を手にとってしまって(笑)。当然、オランダ側は焦りますよね。おい、待ってくれ、イエローじゃないのかって。僕も当然、警告を出すつもりだったんですけど、警告を出して、オランダ選手たちが安堵していて(笑)。本来なら、警告を出すだけでも、一苦労あるのに、余計なマンマネジメントが必要なくなりました(笑)」

 

試合はこのまま終了し、ブラジルが敗れるという結果になるが、西村の判定の素晴らしさはこの後の割り当てが証明した。なんとスペイン×オランダ戦の決勝戦の第四審判を任されたのだ。まさか、日本人が決勝に関わる日が、こんなにも早く来るなんて。そんな西村の勇姿を見ながら、あの一件を思い出せずにはいられなかった。

 

■西村が背負わされた十字架

2008年4月30日。

朝、いつものように自宅近くのコンビニエンスストアにスポーツ新聞を買いに行った。報道には審判への批判もあるが、だからといって、この情報社会でそれをシャットアウトすることは不可能に近い。西村は、だからこそ普通に生活する。わざわざネットで、“西村雄一”を検索したりはしないが、TVはもちろん、Yahooのトップページだって普通に見る。この日も何気なく店内で各紙を眺めていると、自分の写真が1面に載っているような気がした。

不思議に思いながら、新聞をよく見ると、どうみても自分だった。状況をのみ込むことができず、周りを見渡してから、そ知らぬ顔でスポーツ紙を買い、急いで自宅に戻って新聞を開いた。そこに書かれていた内容は、まさに青天の霹靂だった。

【J審判暴言!!「死ね」】

 

 

 

 

 

新聞の一面には、そんなキャプションが添えられ、西村の写真が貼り付けられていた。

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