「フジテレビ問題」を異なる観点から考える 意外と知られていないサッカー界への貢献
今週の月曜日、フジテレビがあるお台場に行ってきた。たびたび報道で登場する、フジテレビ社屋を撮影する目的もあったが、この機会に現地の空気感も確認しておきたかった。
東京臨海高速鉄道りんかい線の東京テレポートで下車すると、プラットフォームに『踊る大捜査線』のイントロが流れる。いかにもフジテレビらしい「ノリ」ではないか。1980年代初頭から始まった「楽しくなければテレビじゃない」というスローガン。その軽薄で浮ついたノリに彩られた、一連のフジの番組というものが、私はいまだに馴染めずにいた。
もっとも子供時代は、わりとフジの番組に親しんでいたように思う。ガチャピン&ムックの『ひらけ!ポンキッキ』。アニメでいえば『世界名作劇場』、そして『タイムボカン』シリーズをはじめとする一連のタツノコプロ作品群など、良質なコンテンツを楽しませてもらった。ちなみに、この頃のスローガンは「母と子のフジテレビ」である。
成人して以降、フジのバラエティやお笑いの番組には見向きもしなかったが、時おりチャンネルを「8」に合わせることがあった。それは決まって、サッカー中継。日本サッカーが「坂の上の雲」の時代だった、1990年代から2000年代にかけての重要な試合の数々は、フジテレビによって中継されていたからだ。
今週のWMコラムでは、いわゆる「フジテレビ問題」について、芸能や経営とは違った観点から考察したいと思う。問題の概要と経緯については、今さら私が語るまでもないだろう。本稿では「サッカーファンにとってのフジテレビ」という視点から語っていく。これだけ世の中を騒がせていながら、この問題についてサッカー界隈からの発信がないことに、何ともいえぬ物足りなさを感じていた。ならば私自身が、その突破口を開くことにしたい。
民放キー局の中で、日本サッカー界への貢献度を考えた時、まず筆頭に挙がるのがテレビ東京であろう。サッカーファンには説明無用の『ダイヤモンドサッカー』、そしてアニメ版『キャプテン翼』がサッカー界に与えたインパクトは計り知れない。2番手には、高校サッカーを人気コンテンツに育て上げ、FIFAクラブワールドカップの源流となるトヨタカップの立ち上げにも寄与した、日本テレビを推すことに異論はないだろう。
そして、間違いなく3番手に入るのが、今話題のフジテレビ。若い世代にはピンと来ないかもしれないが、フジテレビの日本サッカー界における貢献度は、もっと評価されてよいように思う。そのヒントを与えてくれるのが、昨年9月に再書籍化された『フットボールTV ワールドカップがもっと楽しめるサッカー中継舞台裏』。著者は、フジテレビのサッカー番組を多く手掛けてきた、元プロデューサー(現・株式会社フジクリエイティブコーポレーション常務取締役)の村社淳(むらこそ・きよし)氏である。
村社氏は1983年にフジテレビに入社。Jリーグ開幕と「ドーハの悲劇」で記憶される1993年は、脂が乗った中堅社員であり、その後10年にわたる日本サッカーの幾多の象徴的な場面にTVマンとして立ち合ってきた。具体的には、どんな試合か? 本書からピックアップしてみよう。
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