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なぜ新スタジアム候補地は「宇品案」が優勢だったのか? 小谷野薫(元サンフレッチェ広島代表取締役社長)<2/3>

ビッグアーチとは真逆の発想だった「街なかスタジアム」 小谷野薫(元サンフレッチェ広島代表取締役社長)<1/3>

偶然から始まったサンフレッチェ社長就任の経緯

──証券会社のお仕事をされていた小谷野さんが、エディオンの顧問になられたのは2010年。きっかけは何だったのでしょうか?

小谷野 それは本当に偶然で。今はなきクレディ・スイス証券で、当時はM&A本部長をやっていました。ある案件でエディオンの久保(允誉)会長とお話する機会があって、たまたまサッカーの話題になったら、「君、詳しいね」という話になって。そのうち、小売業界の再編の話題などと並行して、サンフレッチェについてもアイデア出しをするようになりました。

 その過程で知ったのが、当時のサンフレッチェが20億円の累積損失を抱えていて、このままだと債務超過になってしまい、2013年から始まる予定のクラブライセンス基準に抵触する恐れがあるということでした。そこで99%減資と、エディオンとマツダを中心とした第三者割当増資が計画されていたのですが、株主総会に向けて減資の承認を得るための経営再建計画を作る必要がありました。そのたたき台のレビューを久保さんから依頼されたんです。

──この時点では、あくまで個人的な相談だったのでしょうか?

小谷野 最初はそういう感じでした。幸い、サンフレッチェの「経営再建5カ年計画」については、(2012年)2月の株主総会で無事に当初通りの再建案が通りました。その間、エディオンの財務管理の問題点を指摘していたんですが、久保会長から「当事者意識をもってサンフレッチェの経営に関わってみないか?」と提案されたんです。

──そして小谷野さんご自身は、20124月にクラブの社外取締役、さらに9月には財務担当の常務取締役に就任します。一方、それまでクラブ社長だった本谷祐一さんは勇退され、20131月から小谷野さんがサンフレッチェ広島の代表取締役社長に就任。このような展開は想像できましたか?

小谷野 社長になるかどうかは別として、財務担当の役員もしくは顧問は、どこかで引き受けざるを得ないのかなと思っていました。僕もレビューに加わっていた経営再建計画が、すでに動いていましたから。ただし細心の注意が必要だったのは、この年のサンフレッチェがJ1で優勝争いをしていたことです。

──この年、サンフレッチェは初のリーグ優勝を果たすわけですが、社長交代の話が漏れてチームに良くない影響が出ることを懸念されていたわけですね?

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