「震災を背負っているクラブ」で映像作品を撮り続ける理由 映像ディレクターが語る、いわきFCマスコット秘話<3/3>
■「東スタ」でのこけら落とし以来のFC東京サポーター
──ところで磯見さんは、いつからFC東京を応援しているんですか?
磯見 2000年からですね。味スタがまだ「東京スタジアム」と呼ばれていた時のこけら落とし。東京ヴェルディとのダービーからです。
──どんなきっかけがあったのでしょうか?
磯見 当時、京王線の橋本駅にある多摩美に通っていたんですが、その年に調布でひとり暮らしを始めたんですよ。それまでサッカーにはほとんど興味がなかったんですが、近所に住んでいた友人が「近くにスタジアムができたみたいだから、一緒に試合を観に行こうよ!」って誘われたのがきっかけでしたね。ただ、試合内容はあまり覚えていないですけど。
──それがきっかけで、味スタに通うようになったと。ご自身の中で、サポーターとしての自覚が生まれたのは、いつ頃でしょうか?
磯見 2002年の浦和レッズとの最終戦でしたね。福田健二が延長Vゴールを決めて、勢いあまってスタジアムの溝に落ちたんですが、あの時は頭が真っ白になるくらい盛り上がりましたね。
──2002年ということは、磯見さんがTYOに入社した年ですよね。実は今日、お会いした時にぜひともお伝えしたかったことがあります。私は磯見さんよりも10歳上ですけど、大学受験は多摩グラ(多摩美のグラフィックデザイン科)が第一志望で、就活ではTYOを受けているんですよ。結局、どちらも落ちましたが(笑)。
磯見 へえ、そうだったんですか! TYOなんてマニアックな会社、よく知っているなと思っていたんですが、そういうことでしたか! それでも藝大なんて、すごいじゃないですか。僕がいた多摩グラなんか、藝大に行きたかった人たちばかりでしたよ。
──あえてお聞きしますが、磯見さんはストレートで多摩グラだったんですか?
磯見 いえ、高校を卒業して、最初はレコーディングの専門学校に2年通いました。音楽業界にあこがれていたんですけど、ぜんぜん就職先が見つからないし、ずっと密室にこもって作業するのは向いてないかもな、と思うようになって。それで実質3浪で多摩美に入学しました。
──卒業後、グラフィックの仕事ではなく映像業界に進んだのは、なぜですか?
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