混沌J2の今後を展望するLIVE(J論)【4/10(木)21時】

宇都宮徹壱ウェブマガジン

【無料公開】フィンランドでの2冠達成の陰で 黒﨑優香(レーシング・ルイビルFC)<1/3>

「宇都宮さん、黒﨑優香がウチでトレーニングしているんですよ。しばらくこっちにいるから、取材しませんか?」

 千葉県リーグ1部、市川SC幸野健一GMから電話をいただいたのは、昨年12月の上旬のこと。何と、フィンランドで活躍中の黒﨑選手が、都内にいるという。彼女とは、とあるイベントで挨拶されたのが唯一の接点。アメリカの大学在学中の頃だから、今から6~7年前の話だ。

 黒﨑選手は、福岡県北九州市出身で、1997612日生まれの26歳。藤枝順心高等学校卒業後に渡米し、ケンタッキー大学とオクラホマ大学で学びながら主力選手として活躍した。大学在学中にヨーロッパにわたり、FCヴァッカー・インスブルック(オーストリア)、アルナー=ビョルナー(ノルウェー)、KuPS(フィンランド)でプレー。一方で大学3年時に起業し、株式会社ユウカ考務店代表取締役を務める。

 そして昨年11月、フィンランドでCL出場と2冠達成を経験して帰国。市川SCでトレーニングを続けながら、次の移籍先を模索する中、このほどNWSL(ナショナル・ウィメンズ・サッカーリーグ)のレーシング・ルイビルFCへの移籍が決定した。このインタビューは、アメリカでの所属先がリリースされる直前に行われたものである。

 実は黒﨑選手は、アンダー時代も含めて代表歴がない。高校卒業後、国内リーグを経由せず、ずっと海外でプレーしてきたことも少なからず影響しているのだろう。日の丸を付けてプレーすることは、男女を問わず誇らしいことであり、引退後のキャリアにも関わってくる話。しかし黒﨑選手には、そうした「常識」には頓着しない。

 彼女は代表に選ばれることよりも、海外でプレーすることにこだわりつづけ、しかも大学時代からビジネスもスタートさせている。大手メディアには、なかなか捕捉されにくいキャリアではあるが、当WMならば彼女の肉声を届けられそうだ。幸野さんも、そう思って私に電話してくれたのだろう。

 なお、先週につづいて今回も、3分割したインタビューを一挙掲載。1本目は無料公開とした。一気に読むもよし、週末にかけてじっくり読むもよし。それぞれのペースで、お楽しみいただきたい。また、こうした掲載方法についての感想なども、ポストしていただければ幸いである。(取材日:20231221日@東京)

【編集部註】本稿はインタビュー時に撮影したものを除き、掲載した写真はすべて黒﨑優香選手からご提供いただきました。

次の移籍先が決まらず市川SCに練習参加

 ──黒﨑さん、お久しぶりです。フィンランドから戻ってから、ずっと市川SCでトレーニングされていたそうですね。まずはその事情から聞かせてください。

黒﨑 (2023年の)11月に帰国してから市川SCでお世話になっているんですけれど、フィンランドにいく前にも5カ月ほどトレーニングさせていただいていたんです。フィンランドの前はノルウェーでプレーしていて、契約延長せずに帰国したんですけれど、なかなか次の移籍先が決まらなかったんです。

──そうしたら市川SCのGM、幸野健一さんが助け舟を出してくれたと。

黒﨑 そうなんです。健さんには本当にいろいろとしていただいて、トレーニングの場を提供していただいただけでなく、ご飯に連れて行ってもらったり、サッカー以外のこともたくさん学ばせていただいたり、という感じです。

──その健さんにも、今日は同席していただいているので、補足していただけますか?

幸野 優香とは自分の娘のように長く時間を過ごしています。僕自身、(息子の)志有人をはじめ、たくさんの選手たちと向き合ってきましたし、人生の先輩としてもいろいろアドバイスできるとは思っていました。ウチでプレーする時、僕はトップチームでやったほうが絶対いいって言ったんです。彼女は女子とか、男子のユースで一緒に練習することをイメージしていたみたいですが、すぐにフィットしました。そもそも基礎技術が高いことはわかっていましたし。

──今まで男子と一緒に練習とか試合をしたことは?

黒﨑 ないですね。小学生の時、男子チームでサッカーしていたくらいでした。次の移籍先を探している状態だったので、トレーニングの場を確保するのは最重要課題だったんです。そんな中、健さんから「ウチに来なよ」と言ってもらえたのは本当に助かりました。

 ただ、男子と一緒にトレーニングすることについては、当初は不安もありました。スピードにしてもフィジカルにしても、男子と女子とではやっぱり違いますから。それでも健さんからは「自信をもって!」と励ましてくれましたし、選手の皆さんも私のことを受け入れてくれて、本当にありがたかったです。

──アメリカの大学を卒業後、2021年以降の黒﨑さんのキャリアを簡単に振り返ってみたいと思います。最初に所属したのが、オートリアのFCヴァッカー・インスブルック。モラス雅輝さんがいるところですよね? 被っていたんでしょうか?

黒﨑 被っていますが、モラスさんは男子のコーチだったので、直接指導は受けていません。

──なるほど。インスブルックには半年ほど所属して、今度はノルウェーのアルナー=ビョルナー、さらにフィンランドのKuPSに活躍の場を求めます。日本人の感覚からすると、北欧諸国って同じように見えるんですけれど、ノルウェーとフィンランドでは、まったく言語が違うじゃないですか。言葉の面で苦労することはなかったですか?

黒﨑 おっしゃるとおり、ノルウェーとスウェーデンとデンマークとでは微妙に言語が違っていて、フィンランドはぜんぜん違うので「マスターするのは難しいよ」って言われていたんです。ただ幸いなことに、ノルウェーでもフィンランドでも、それとオーストリアでも、みんな英語が話せるんですよね。フィンランドのクラブの監督は、アメリカで指導を学んだ人でしたし。

──つまり、どこに行っても英語が公用語だったんですね?

黒﨑 そうなんですよ。「私、英語がすごく苦手なの」とか言っている子でも、苦手のレベルが日本と違っていて、コミュニケーションにはぜんぜん困らない。ですから、挨拶とか数字くらいは覚えましたけれど、サッカーをしている時は英語だけでぜんぜん困ることはなかったですね。

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