【サッカー人気4位】【浦和を語ろう】ホーム5連戦クライマックス!好調ガンバのキ…

宇都宮徹壱ウェブマガジン

JFLでの長き足踏みから脱却するために 権田五仁(レイラック滋賀会長)<2/3>

「監督=戸塚哲也」で2年目の地域決勝に懸ける

──JFLに昇格した2007年の地域決勝を思い出していただきたいと思います。当時のクラブ名は「FC Mi-OびわこKusatsu」だったわけですが、大会直前の全社から、監督を中尾(幸太郎)さんから戸塚哲也さんに代えているじゃないですか。これはつまり「この年に勝負を懸ける」という明確な意図によるものだったんでしょうか?

権田 僕がクラブ代表となった当初は「5年でJFLに上がれたらいいな」と思っていました。けれども1年目(2006年)をやってみて、想定していたよりも金がかかることがわかった。「これは2年目が勝負だな」って考えるようになりました。

──1年目の地域決勝は1次ラウンドで、戸塚監督率いるFC岐阜に敗れていますね。

権田 あの大会で、昇格のために必要な戦力や運営力が理解できたので、2年目で勝負に出ることにしたんです。けれども当時の関西リーグは、バンディオンセ神戸がとても強かったので2位に終わったんですね。そうなると、全社で出場権を得るしかない。それで中尾に相談したところ、こう言われたんです。「もしも全社枠を獲得して地域決勝に進んだ場合、全社5試合、地域決勝で3試合+3試合、合計11試合に勝たなければならない。僕じゃ勝てへんと思いますから、監督を代えましょう」って。

──中尾さんが、ご自分で「僕じゃ勝てへん」と言ったと?

権田 そうです。それは自信のなさではなく、勝負に徹しての結論だったと思いました。では、誰がいいのかと考えた時、たまたま戸塚さんが岐阜の監督を解任されたんですね。すぐに中尾から「戸塚さんで勝負しませんか?」と提案されたんです。本人と話ができるというので、連れてきてもらって即決でした。

──結果、大分で行われた全社で優勝して、全社枠を獲得。そして松本での1次ラウンドでは、徳島ヴォルティス・アマチュア、FCセントラル中国、松本山雅FCと同組になりながら、1位通過で熊谷での決勝ラウンド進出を果たします。

権田 最後の松本戦には2-0で勝ったんですけど、その時に2得点を挙げたのが、レイラックで専務をやっている内林(広高)なんですよ。だけど点取り屋というわけではなくて、リーグ戦と全社含めて、この年のゴールは松本戦の2点だけだったんですね。

──まさに「山雅キラー」だったわけですね。そして決勝ラウンドで対戦するのが、バンディとニューウェーブ北九州、そしてファジアーノ岡山。当時は引き分けの場合、延長戦なしのPK戦が行われて、勝者は勝ち点2、敗者は勝ち点1が与えられるルールでした。MIOは初戦のバンディ戦でPK負け、2戦目の北九州戦は1-0で勝利して2位に浮上します。

権田 2戦目を終えて、2試合ともPK勝ちだったバンディが、勝ち点41位に立っていたんですよ。でも最終日に、ウチが岡山に0-1、バンディも北九州に0-2で敗れて、3位と4位になってしまったんですよね。

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