国立開催のこと、神楽しまねのこと、そしてシーズン移行のこと 加藤桂三理事長に訊く「四半世紀を迎えたJFLの今後」<2/3>
■FC神楽しまねに立て直しの可能性はあったのか?
──しまねは昨年1月、前の社長が退任していますよね。理由は何だったのでしょうか?
加藤 前の社長は、体調不良だったと聞いています。地元で警備会社を経営していて、その時も経営は大変でしたけれど、クラブを残すためにいろいろ尽力されていました。
──そして3月に就任したのが、最後の社長となる宮滝譲治さん。この方は、スポーツビジネスの経験をお持ちだったんでしょうか?
加藤 いえ、もともとは学校の先生をされていて、資金を調達できるような方ではなかったんですよ。よくぞ引き継いだな、というのが当時の私の率直な感想。それでもクラブの取締役には、島根電工ホールディングスの社長とか、地元TV(山陰中央テレビジョン放送)の常務とか、地元紙(山陰中央新報社)の専務とか、そういう方々に何とか支えてもらっていたんですよね。もちろん、ご本人も頑張っていたとは思います。
──どういう経緯で、宮滝さんが社長を引き継いだのかはわかりませんが、この方も純粋にクラブを存続させたいという思いから、火中の栗を拾ったことは想像できます。それは、地元の優良企業やメディアの有力者が取締役の人たちも同様で、おそらく資金ショートした部分を埋め合わせていたことも考えられます。もっとも、そうしたスクランブル状態がいつまでも続くわけはないので、その間にJFLはどんな対応をしていたのでしょうか?
加藤 JFLとしても、この件に関しては8月以降に何回か臨時の理事会をやっています。もちろん、クラブに対しても聴き取りをしていて「これだけのお金を用立てすれば、来年以降も継続できる」という話にはなっていたんですよ。
──つまり、昨年12月の時点では光明が見えていたということですか? すでに数億単位の負債があったとも聞いていますが。
加藤 状況としては、依然として厳しいものがあったのは事実です。実際に銀行から借りていたお金がありましたので、それはスポンサー企業だったり個人だったりの借入で何とかしていこうと。それとは別に、選手やスタッフへの(給与)未払いもあったんですが、それでもクラブ側から「あとこれくらい必要」という現実的な金額も出ていて、来季のスポンサー料の支援確約書も取れていたんです。ですから、われわれも「これなら行けるだろう」というのがありました。
──ということは、クラブからのギブアップはJFLにとって、まさに寝耳に水だったと?
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