【育成論】オリンピックから考察する。世界基準を超えていくために《トレンド》を《スタンダード》に
アジアカップの決勝でカタールに敗れたことや、今大会でも力関係では劣るであろうニュージーランドがとてもロジカルに日本に挑んできて、番狂わせを起こしそうになったことなどを鑑みると、日本サッカーが海外に取り残されているような感覚、またスペインやメキシコとの対戦を終え、「サッカーというスポーツの捉え方」が海外と日本では全くと言っていいほど違うのではと感じてしまいます。
中野さんは田中碧選手のコメントからどのように感じられたのでしょうか?
フッスバルラボの会員の方からこんなを問いかけいただいた。日本オリンピック代表は準決勝でスペインに敗れ、3位決定戦ではメキシコの前に散った。そしてその試合後に発した田中のコメントが、いろいろと波紋を呼んでいる。
「デュエル(球際や1対1で勝ること)だの戦うだのを、彼らは通り過ぎている。チーム一体となってどうやって動いて、勝つかに変わってきている」
「2対2だったり3対3だったりになったときに相手はパワーアップするけれど、自分たちは何も変わらない。それがコンビネーションという一言で終わるのか、文化なのか分からないですけれど、サッカーを知らなすぎるというか……。彼らはサッカーをしているけれど、僕らは1対1をし続けているように感じるし、それが大きな差になっているのかなと感じている」
??#U24日本代表/コラム
世界では「自分たちのサッカーが選べない」。#田中碧 が #東京五輪 で実感した“11人対11人”で勝つという意味。
?️文=川端暁彦(@gorou_chang)
「自分は日本でしか通用しない」
「差」があったのは試合の大局観
目線は既に来年のW杯
詳細?https://t.co/1BEAHhB9Td pic.twitter.com/oBE2bc1fzH
— Goal Japan (@GoalJP_Official) August 7, 2021
日本とスペイン、あるいはメキシコを比較して、そこに確かな差があるのは僕も感じているし、当然プレーした選手はもっと感じていることだろう。そりゃ掘り下げていけばいろんな課題がどんどん見つかる。
試合の後では様々な分析がされるし、一つ一つのプレーや動き出し、ポジショニングが最適だったのかどうかを指摘される。だからできてないことが見つかれば、「ほら見たことか」とたたかれる。
日本とメキシコやスペイン選手の動きを比較してみると、確かに田中が指摘するように、1対1を積み重ねようとしている日本に対して、メキシコやスペインでは1人1人の力を巧みに融合させながらそれぞれの力を2にも3にもしていくように見えたりする。
以前スイスのFCバーゼルで開催された指導者研修会でこんな言葉を紹介されたことがある。プロスポーツメンタルコーチ・シュテファン・キルヒナーの言葉だ。
「仲間とともに仕事をする人間はそれぞれのポテンシャルを加算することができる。仲間のために仕事をする人間はそれぞれのポテンシャルを倍増することができる」
言葉にすればそういうことだ。それぞれのクオリティを、ポテンシャルを倍増しあう。そのためには自分のことだけではなく、どうすれば味方選手がうまくプレーできるのかと適切に《気を使って》あげることが求められるし、そのためにどんな仕事があって、いつ、どこで、どのように行えばいいのかを知ることが必要になる。
そうしたことを総じて《戦術》とくくることもできるし、そうした知識の積み重ねを戦術メモリーという言葉で表現することもできる。それがサッカーをするうえで大事な要素の一つなのは間違いない。
そして戦術というのは攻撃だけにあるものではない。守備戦術だって大切だ。どのようにボールを奪うのか。個人として、グループとして、チームとして。それがないと攻撃にスムーズに転じることができない。
そんな全体像をイメージしながらプレーできるかどうか。
どのようにそうしたイメージを修正・整理しながらプレーに反映させていくか。
全体像のイメージを壊さないように個々のプレーを絡ませていくか。
そうした文字にすることはできるものをどうやって落とし込むのというのが結局のところ一番難しい。
確かにここしばらく日本では《デュエル》《インテンシティ》ということが強調されていた。僕はブラジルワールドカップ後にとある県のトレセンミーティングに参加したことがあり、その時に日本サッカー協会からの資料も目にしたことがある。
そこでは「《全員攻撃・全員守備》《攻守の一体化》《インテンシティとクオリティ》は世界のサッカーの潮流」と表現されていたのだけど、これは間違いだ。
いやいや、それはその当時すでに世界のスタンダードとされるものだ。
世界基準って言葉がよくつかわれるけど、基準ってことは最低限身につけていなければならない要素ということでしかなくて、それができたら世界最先端になれるなんてことはない。
ボールを奪いに行く姿勢とそのためのスキル、攻守における切り替えの早さを常に高く保つための走力と意志力はだれが、どの国で、どのカテゴリーで、どんな指導者の元でやっていても当たり前のように要求されて、当たり前のように取り組むようになっているものなのだから。
デュエル、大事だよ。でもどのデュエルにどのように勝てばいいの?試合の大局に影響しないデュエル勝率が高くてもしょうがない。得点、失点の可能性が高まるペナルティエリア付近では最大限の集中力とインテンシティでボールを支配下に置くことが求められるし、そのための経験を積むことが必要になる。
ハイインテンシティは何のためにいるの?ボールがないところで走って、組織的な動きをするためには明確な意志の力が必要で、そのためにはそうしたプレーがチームだけではなくて、自分のプレークオリティをも高めてくれるという成功体験がなければだめだし、そのためには「なぜ、なんのために、どのように」という要素を学ぶ機会が大切だ。
当たり前のようにそうしたことに取り組みながら、プレーインテリジェンスのあるプレーを促し、自分たちが有利になるプレーを整理し、そのためのスキルを身につけていく。
そこがスタート地点なのかなと思う。そのうえで各国自分たちの特徴や性質、嗜好や美徳に応じたサッカーへと微調整させているのが昨今のサッカー界ではないだろうか。
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