連載:もう一つの日本代表 ~世界で戦ったレフェリー 丸山義行 第三回
東京オリンピックで、サッカーは日の目を浴びることになる。グループリーグをアルゼンチンに競り勝ち突破。準決勝ではチェコスロバキアに力負けするものの、サッカーというスポーツを日本に印象付けた。サッカーが盛り上がりをみせたこと。そして、クラマー氏の「トップリーグを作り戦力の向上を計ること」という言葉を受け、JFAは1965年、日本サッカーの競技レベル向上を目的に日本サッカーリーグ(JSL)が発足させる。日本における団体競技の全国リーグは1963年に誕生したプロ野球以来31年ぶりの新設であり、アマチュアを対象としたものは日本初、だったのだが・・・。
審判員はというと、ボランティア、つまり無給(交通費のみ支給)で行われるポジションだった。要はそのレベルで扱われていたということだ。
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