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【無料公開】オシムさんが僕らに語っていたこと 追悼鼎談:千田善×長束恭行×森田太郎<1/3>

 今週は当初の予定を変更して、過去のWMのコンテンツから蔵出しして無料公開することにしたい。20226月初旬に掲載した、イビチャ・オシムさんの追悼鼎談。早いもので、同年51日にオシムさんが亡くなられて、今年で3年となる。

 この鼎談にご参加いただいたのは、日本代表監督時代の通訳だった、千田善さん。東欧サッカーに関する取材と知識では、国内で右に出る者はいない、長束恭行さん。ここまでの人選なら、誰もが想像できるだろう。そしてもうひとり、オシムさんと家族ぐるみのお付き合いを続けてきた、森田太郎さんにもご参加いただいた。

 森田さんは静岡県立大学在学中だった2000年、サッカーによるボスニアの民族融和を図る『サラエボ・フットボール・プロジェクト』の代表となり、現地で民族の垣根を超えた少年・少女のサッカークラブ『クリロ(翼)』を設立。さらに、現地でUEFAライセンス(B級)を取得している。競技経験もほとんどなく、現地で言葉を習得したことを考えれば、これを快挙と言うほかない。

 1958年生まれで盛岡出身の千田さん、73年生まれで名古屋出身の長束さん、そして77年生まれで東京出身の森田さん。この3人の共通点は、オシムさんとは彼の母国語である、セルビア・クロアチア語でコミュニケーションしていた日本人であったことだ。つまり「オシムの言葉」をダイレクトに聞いていた人たちである。オシムさんを追悼する企画は多かったが、こうした座組を実現させるのが当WMの真骨頂である。

 果たしてオシムさんは、どんなことを彼らに語っていたのか? そこから導き出される、日本人へのメッセージとは、どのようなものだったのか? オシムさんが心から愛したクラブ、ジェフユナイテッド千葉がJ2で首位を走る今、あらためて考える機会となれば幸いである。(取材日:2022519日、オンラインにて収録)

家族にとっても突然だったオシムさんの死

──今日はオシムさんの思い出を語るために、お集まりいただきありがとうございました。この中で、おそらく最後にオシムさんとお話されたのは千田さんだと思うのですが。

千田 といっても去年(2021年)ですけどね。ジェフ千葉の歴史を振り返るドキュメンタリー『The Never Ending Dreams ~想いをつなぐ~』というのがあって、その時に佐藤勇人さんとオシムさんとをZoomでつないで僕が通訳しました。そのあと、電話でお話する機会もありましたが、それも去年でしたね。

──少し衰えているような印象はあったんでしょうか?

千田 「歩くのが大変だ」とか言っていましたけど話は明瞭で、こっちが忘れているような事も覚えていましたね。これはあとで聞いた話ですけど、亡くなる前日も普通に過ごしていて、当日の朝にちょっと具合が悪くなったと。救急車が到着する間に体調が悪化して、救急処置をしたんだけど間に合わなかったみたいです。長く苦しまずに亡くなったようですけれど、それでも家族にとっては突然の死だったので、特に奥さんのアシマさんが心配ですね。ちなみに、亡くなられたのはグラーツでした。

──長束さんと森田さんは、どのタイミングで訃報に接したんでしょうか?

長束 私は結構、遅かったです。次の日の朝に私のTwitterがやたらと騒がしくなって、辿っていくとオシムさんが亡くなったことを知ったという感じでしたね。

森田 僕は深夜でしたから、善さんと同じくらいだったと思います。サラエボにいるクリロの友人からすぐ連絡が来て、しばらく動けなくなってしまいました。その後、さまざまな公式サイトが訃報を出していたので、受け入れるほかなかったですね。

──ちょっと前に、イタリア人の代理人(ミノ・ライオラ)が死去したというのがフェイクニュースだと明らかになって、当人が怒り心頭だったという報道がありました。今回もそういう話であってほしかったんですが……。ところで長束さんが《オシムの訃報を聞き、想い出を振り返りつつ不思議と涙が出ないのは、いつかこの日が来ることを覚悟していたのかもしれない》とツイートされていたのが印象的でした。

長束 やっぱりどこかで覚悟していた部分があったと思います。というのもオシムさんが倒れた2007年以降、僕が取材してきたクロアチア人の指導者が相次いで亡くなっているんですよね。トミスラフ・イビッチが2011年に77歳で、ヨジップ・クジェが2013年に60歳で、オットー・バリッチが2020年に87歳で、そして去年はズラトコ・クラニチャールが64歳で、それぞれ亡くなっているんですよね。

──そうですか、けっこう続いたんですね。

長束 今ご存命のミロスラヴ・ブラジェヴィッチも87歳ですからね。「そろそろ」なんて話もありますし(※)。60代で亡くなった方もいらっしゃいましたが、そういった訃報に接するたびに「オシムさん、大丈夫かな」と。まだまだ大丈夫だろうと考える一方で、そろそろ覚悟をしなければとも思ったりしていたんですが。

ブラジェヴィッチ氏は202328日に死去。

──千田さんにお聞きしますけど、間もなく81歳の誕生日というタイミングというのは、旧ユーゴ諸国の中ではわりと長生きの部類に入るんでしょうか?

千田 そうですね、さっき、ボスニア・ヘルツェゴビナの平均寿命を調べたら77歳だったんですよ。それよりは長生きしていたわけだし、脳梗塞で倒れてからも15年は生き続けることができたわけですからね。それは医療チームと家族のケアのおかげだったんだろうと思っています。

──確かにそうですね。そういえば先日の葬儀には、JFAから反町(康治)さんが列席されていたようですが。

千田 反町さんは、ちょうど欧州の選手を視察していたタイミングだったんですよね。それで「黒ネクタイのほうがいいですか?」という連絡があったんですけど、落ち着いた服装でしたら問題ないですよ、と答えておきました。

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