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「寄せ集め」からスタートして10周年 2014年に創設されたJ3の意義を考える

 28日、Jリーグ公式Xのこちらのポストに目を引かれた。

https://twitter.com/J_League/status/1828719179115245583

 今や巨匠感満載のりおたさんによる「明治安田J3リーグ10周年」のイラスト。そうか、2014年にJ3リーグが開幕して、今年で10周年か! 今では日本サッカーのピラミッドで、すっかり不可欠な存在となった感のあるJ3。だが、そのスタートアップ時を振り返ると、いろいろと感慨深いものがある。

 まずは開幕時のJ3「オリジナル11」を見てみよう(カッコ内は2013年の成績/J2ライセンスの有無)。

・グルージャ盛岡(東北1部1/無)

・ブラウブリッツ秋田(JFL8位/無)

・福島ユナイテッドFCJFL14/無)

FC町田ゼルビア(JFL4/有)

Y.S.C.C.横浜(JFL12/無)

SC相模原(JFL3/無)

AC長野パルセイロ(JFL1/有)

・ツエーゲン金沢(JFL7/有)

・藤枝MYFCJFL13/無)

・ガイナーレ鳥取(J2 22/有)

FC琉球(JFL11/無)

Jリーグ・アンダー22選抜(特別参加枠)

 この並びを見て、いろいろな発見があるかと思うが、それについてはのちほど触れる。それにしてもなぜ、2014年というタイミングでJ3が誕生したのだろうか。その制度設計に大きく関わったのが、当時Jリーグ常務理事だった大河正明さん。4年前のインタビューから抜粋する。

 当時、専務理事だった中野(幸夫)さんとは、以前から「J222チームまで来たからどうしよう?」という話はしていました。2012年でJ1J240クラブになって、その次の年にFC町田ゼルビアが落ちてしまったと。もともと同じ志を持った(Jリーグの)会員が、プロアマ混合のJFLになってしまっていいのか、という疑問が生じたわけです。

(中略)

 まさに町田の降格が、JFAJ3創設を提案する上で、格好の材料になりましたね。ただし、最初は反対されましたよ。田嶋さん(幸三=当時JFA会長)からも、リーグのクオリティが担保できるのか、という主旨の疑義をいただきました。でも、それから6年経ってみて、どうですか。それぞれのクラブが、それなりに成長していると思いませんか?

 今やJ1の首位を走り続けて、メディア露出も一気に増えた町田だが、実は2013年のJ2で最下位となってJFLに降格。Jリーグから滑り落ちた唯一のクラブとなってしまった。そして、2014年のJ3創設には「JFLに降格した町田を救済する」という思惑が、当時のJリーグ側にはあった。それは大河さんの証言からも明らかだ。

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