【無料公開】ゴール裏の活動は単なる「自己満足」か? 相良純真(URAWA BOYS創設者)✕ロック総統<2/4>
■選手とサポーターの距離感をめぐって
──浦和のゴール裏が分裂していた2002年当時って、総統はすでに故郷の宮崎に戻ってホンダロックSCを応援していたんですよね?
総統 そうです。天皇杯で浦和と対戦した次の年(2001年)に宮崎に戻ったので、Jリーグそのものが遠い世界になりましたね。それまで鹿島のゴール裏にいたのが、九州リーグに出没するようになるわけですよ。そのギャップが楽しかったですね!
芝生席に会社の従業員や地元のおじさん、おばさんが数人でのんびり試合を見ていて、手を出せば選手に触れられるような距離感の会場ですよ。しかもホンダロックSCはレプリカなんか売ってないから、部室で余っていた古いユニフォームを勝手に着たりして(笑)。ちなみに今、着ているのは1998年の時のものです。
──そうしたギャップが、むしろ楽しかったのでは?
総統 ピリピリした雰囲気もないし、プロのサッカーに比べればクオリティは見るべきものはないんですよ。ただ、選手との距離感がすごく近いから、プレー中でも「お前、しっかり力出せよ」って言ったら「はい!」みたいな感じで返事をしてくれる(笑)。そういう距離感。冬の練習なんかでも、選手と一緒にダッシュしたこともありましたから。相良さんはプレーヤーから応援に入っていますけど、僕は応援からプレーヤー目線になっていきましたね。
──そんな総統に応援される選手たちって、どういう心境だったんでしょうね(笑)。
総統 どうでしょうね。ただウチの場合、たとえば「ヴェルディに練習参加したけどダメでした」とか「ガンバにスカウトされたけど、その時に靭帯をやってしまって」とか、そういうバックグラウンドを持った選手が多いんですよ。なかには「僕はもう、サポーターからコールされる選手にはなれないんだろうな」って、諦めてしまっていた選手もいたんですね。
九州リーグで活動している企業チームだから、そう考えるのは当然ですよ。そんな中で、こういう格好をしたサポーターが、勝っても負けてもコールするものだから、選手のほうも「ありがとうございました。応援、嬉しかったです!」っていう気持ちだったようですよ。
相良 そういう光景って、たぶん朝日たちが(FC東京の前身の)東京ガスを応援していた頃みたいな感じですかね。旧JFL時代、20人くらいで応援していた記憶があります。ただ、試合が終わった後に選手とサポーターがディスカッションしているのが、ちょっと羨ましかったですね。あの距離感というのは、ウチではあり得ないですから。
総統 そういえば東京ガスの試合を見に行ったら、試合後に朝日がアマラオに何か書かせているんですよ。「今さらサインかよ」って思ったら、そうじゃなくて字を教えているんですよね(笑)。「なあ、アマラオ。アってこう書くんだよ。マはこうだよ」みたいな感じで。鹿島だったら、レオナルドやジョルジーニョにサポーターが字を教えるなんて、ありえないじゃないですか。だから、あれは羨ましかったですねえ。
──総統は試合後、よくホンダロックの選手と談笑していますけど、いつもどんなことを話していますか?
総統 世間話とか近況とか、最近はプレーに関することを聞いたりはしますね。「左利きなのに、なんであの時は右で(シュートを)打って外したの?」って聞くと、「いやあ、歩数が合わなくて右で蹴ったんです。やっぱ右じゃダメでした」って言われて、こっちも納得するじゃないですか。そうしてプレーヤー経験のない僕でも、だんだん目が肥えてくるわけですよ(笑)。
相良 そういう距離感が、やっぱりウチとは違いますよね。試合後に整列してあいさつする距離感についてもそう。浦和の選手って、あんまりゴール裏に近づこうとしなかったですね。ひどい時は看板の向こう側からあいさつされることもありました。
総統 カシマスタジアムは専スタだけどスタンドに高さがあるので、あまり近寄ってこなかったですね。逆にアウェイだとゴール裏まで来てくれるから、選手との距離感が縮まるというのはありました。ただ最近は「アウェイでも距離はここまで」みたいな不文律みたいなものがあるみたいですが。