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宇都宮徹壱ウェブマガジン

ハーマー&ドリー誕生の遠因となったNHKのキャラクター 映像ディレクターが語る、いわきFCマスコット秘話<1/3>

 まずはこちらをご覧いただきたい。J2所属のいわきFC320日にリリースした「ハーマー&ドリー ロイヤリティフリー化プロジェクト」に関する記事である。

 詳細は記事をご覧いただくとして、ここで注目していただきたいのが、マスコットのハーマー&ドリーが活躍するショートムービー「浜の光が届く場所」。この作品をディレクションしたのが、今回ご登場いただく、映像ディレクターの磯見大さんである。

 磯見さんは1976年生まれで神奈川県鎌倉市出身。多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業後、2002年に映像プロダクションのTYOに入社。2008年よりディレクターとなり、数多くのCM作品を手掛け、2021年からフリーランスとして活動している(参照)

 サッカー関連でいえば、ご自身も熱狂的に応援しているFC東京、さらにはJリーグのプロモーション映像作品も手掛けてきた磯見さん。だが、多くのJリーグファン(それもマスコット好き)の間で知られるのが、いわきFCのマスコット誕生を描いた#謎の卵を孵化させろ」シリーズであろう。

 実は磯見さん、いわきFCの一連の映像作品を手掛けるだけでなく、ハーマー&ドリー誕生についても深く関与している。それを明らかにするのが、今回のインタビュー取材の主目的。もちろん極めてデリケートなテーマゆえに、すべてを白日のもとにさらすことはできない。が、クラブ側のご理解もいただいた上で、ぎりぎりまで掘り下げたものを公開する運びとなった。

 いわきFCのファン・サポーターはもちろん、すべてのマスコットファンに読んでいただきたい、磯見さんの貴重なインタビュー。ぜひ、最後までお付き合いただき、感想をポストしていただければ幸いである。(取材日:2024411日@東京)

マスコットづくりで重視すべきは「世界観」

──今日はよろしくお願いします。いわきFCのさまざまな映像作品を手掛けてきた磯見さんですが、もともといわき市とは縁もゆかりもなかったそうですね。

磯見 そうなんです。いわきFCのつながりということでいうと、親会社でアンダーアーマーの日本総代理店である株式会社ドームが、2016年にイベントを開催した時にプロモーションの映像を作ったのが最初でした。

──当時はまだフリーランスではなく、CM制作で有名なTYOに所属されていたんですね?

磯見 そうです。その後、JFL時代(202021年)までは、ちょっと空くんですけど。TYOに面川正雄というプロデューサーがいまして、僕と同じくFC東京のサポーターなんですけど、彼がいわき市の出身なんですよ。お互いサッカーが好きだし、彼の故郷にJを目指すサッカークラブができるということで、半分売り込むような感じであらためて、いわきFCさんとの付き合いが始まったという感じでしたね。

──磯見さんがフリーになった2021年、東日本大震災から10年ということで作られたのが「この街」という作品でした(参照)。そして翌2022年、ハーマー&ドリーが誕生します。これにも磯見さんが深く関わっているそうですね。

磯見 どこまで話していいのかなあ(苦笑)。

──じゃあ、質問を変えます。磯見さんはもともと、マスコットには造詣が深かったそうですが、何かきっかけがあったんでしょうか?

磯見 NHKの「どーもくん」ってキャラクター、いるじゃないですか。僕が就職した頃のTYOで、どーもくんの企画と映像制作を行っていたんです。というのも、どーもくんはTYOの先輩で、アニメーション作家の合田経郎さんの作品だったんです。それで当時、企画演出部の若手社員がディレクターへの登竜門として「どーもくんの4秒クラッチを演出する」という慣例があったんです。

──NHKでたまに出てくる、どーもくんの短い映像ですか?

磯見 そうです。例えばストンと座って「どーも、BSです」って言うだけ、みたいな短い映像なんですけど。当時はフィルム撮影だったので、4秒といってもコマ撮りだとかなり大変でした。自分の企画が通ったら演出できる、というルールなんですけど、それを企画するにあたって、ディレクター候補生は「キャラクターとは何か」について教え込まれるわけです。

──面白そうですね。具体的には、どんなことを教え込まれるんでしょうか?

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