【無料公開】『前だけを見る力』松本光平の原点 第2章「15歳での禁断の移籍」より<1/2>
第2章 15歳での「禁断の移籍」(1997~2007年)
■中学時代の3年間、一度もガンバに勝てなかった
初めてサッカーに出会ったのは、幼稚園の年長くらいのときでした。
母親がサッカー教室の張り紙を見つけて「ちょっとやってみたら?」という軽いひと言で始めたのがきっかけでした。指導者のお兄さんが幼稚園までやって来て、一緒にボールを蹴って遊んでいましたね。
ただし小学校の低学年くらいまでは、サッカー以外にもいろんなスポーツをやっていました。とにかく身体を動かすのが大好きな子どもで、特に走るのは得意でした。
小学校3年のとき(1997年)、当時住んでいた(大阪市)住之江区にある、クーバー・コーチング・サッカースクールに入ることになりました。月謝まで払って通わせてくれた両親には、今でも本当に感謝しています。
クーバーでは、1年生から3年生までのグループと、4年生から6年生までのグループとに分かれていました。僕が入ったときは下の学年の子ばかりだったので、大人の コーチみたいに上手くなることが当時の目標でした。
クーバーのコーチは、本当にみんなすごく上手でした。そして練習も、今までやったことのない内容ばかりで、本当に楽しかったです。コーチのデモンストレーションを見るたびに「どうしたら、あのレベルに近づけるんだろうか」と考えながら、小学校を卒業するまで、ひたすら練習に取り組んでいました。
4年生くらいからは、セレッソ大阪U-15、つまりジュニアユースに入りたいと考えるようになりました。
ただし、当時のセレッソの練習場は舞洲で、小学生の僕にとってはものすごく遠い存在だったんですね。そうしたら5年生のとき、セレッソの練習場が南津守に移転したんです。まさに近所ですよ!
僕のために、セレッソのほうから来てくれたんだ──。本気でそう思っていました(笑)。だから、これは絶対にセレッソに入らないと。そのためには、もっともっと練習しようと決意しました。
6年生の冬、一般セレクションを受けることにしました。
セレッソのセレクションは、通常だと3次までなんですけど、僕が受験した年(2001年)は7次まで行われたんです。最初は1000人くらい受験して、3次で合格した子もいたんですけど、僕は最後の最後で合格しました。
ジュニアからの昇格組を合わせて、同期は17人。実は僕、FWとしてセレクションに合格していたんです。「攻撃的なポジションをやりたいです」って伝えていたら、監督からこう言われました。
「おまえにとって、最も攻撃的なポジションが右サイドバックだ。右サイドが一番、おまえが輝ける場所なんだから、そこでプロを目指すんだ」
以来、僕のポジションは右サイドバック。もし、セレッソで右サイドバックをやらせてもらえていなかったら、僕はプロになれなかったかもしれないですね。
今思うと、監督からはとても期待されていたと思います。ただし僕以上に「セレッソの未来を担う逸材」として期待されていた、すごいやつが同期にいたんです。
のちに日本代表になって、ワールドカップにも出場する、柿谷曜一朗。彼だけは別格でしたね。僕からのクロスが、精度に多少の難があっても、彼ならたいてい決めてくれました。
憧れて入ったセレッソは、確かに関西では強豪でした。関西大会で準優勝したり、全国大会に出場したりしていました。ただ、僕が所属していた3年間は、一度もガンバのジュニアユースには勝てなかったんです。試合をしては、ボコボコにやられていました。
僕が中学校3年のとき(2004年)、チームの目標は「打倒ガンバ」。そのガンバは、日本一になることしか考えていませんでした。この目標の大きさの違いには、正直、ものすごく違和感を覚えていましたね。
なぜ自分たちの目標は、日本一ではないのか。そう考えると、すごく悔しくて……。
これも中3のときの話ですが、ひとつ上のナショナルトレセンの選考会に、僕と柿谷が呼ばれたことがあったんです。行ってみたら、ガンバユースは、ひとりを除いて 全員が選ばれていて、セレッソU-18からはゼロ。中3の僕らだけだったんです。
ちなみにガンバで唯一、そこにいなかったのが倉田秋。当時から「バケモノみたいなのがいる」と聞いていましたから、ひとつ上の年代で招集されていたようです。
まだ子どもだった当時の僕は、そのときに思ったんです。たぶんセレッソU-18の 一番上手い人でも、ガンバユースの一番下手な人のほうが上なんだろうなって。
その年の関西大会では、ガンバに当たる前に負けてしまって、日本クラブユースサッカー選手権(U-15)に出場できなかったんです。中学生活の最後の全国大会に出られず、引退も早まってしまったんですよ。
このままセレッソに残ってはいけない。中学を卒業したら、絶対にガンバユースに 行こう。そこでもっと上手くなろう──。
そう、心に決めました。