長崎サッカーマガジン「ViSta」

【コラム】吉田麻也選手の五輪無観客についての発言を聞いて思うこと。~正しい、正しくないではなく、意見の表明は当然のこと~

まずは、この記事を読んでみてほしい。

https://news.yahoo.co.jp/byline/kawabataakihiko/20210717-00248449

吉田麻也選手が、東京五輪の無観客方針に対して、問題の難しさや賛否両論を全て理解した上で、あえて出場するアスリートの一人として自分の考えを表明したというものだ。この考え方に賛同する人もしない人もいるだろうが、間違いなく言えるのはただ一つ、これは」「正しい・正しくない」で片付ける問題ではないということだ。

吉田選手の発言に反感を持つ人もいるだろうが、そうではない感覚を持つ人もいる。鎮西学院高校サッカー部の羽根田充弘監督もその一人だ。羽根田監督は名古屋グランパスアカデミーの出身で吉田選手の一つ下にあたる。中学校の頃から一緒だったそうで、自身がドイツに滞在していたときも、オランダにいる吉田選手に相談に乗ってもらうこともあったという。だからこそ、思いつきや中途半端な気持ち、アスリートのわがままではなく、真剣に考えて発言したと信じられるし、同時に共感もしたという。

鎮西学院高校サッカー部の羽根田充弘監督。吉田選手の後輩でもある

「いろんな苦悩がある中で、彼のようなアスリートがよく発してくれてたなって。僕らとは環境も立場もカテゴリーも違うけど、僕らもやっぱりお客さんや保護者に見てもらいたいという気持ちがあって、そうやって見てもらうことで頑張れるというのもあるんです。現場でサッカーに関わらせてもらっている人間の一人として、五輪のサッカーも、それ以外のスポーツにも盛り上がってほしいと思うし。本当に難しい問題なんですけど、麻也君の発言を聞いて、自分たちも頑張らなきゃなって」

学校やサッカー部関係なく、あくまで一個人の意見として羽根田監督はそう語る。

今回の五輪はあまりにもスポーツやアスリート以外のものに注目が集った。正直、これだけ多くの問題を露呈したことで五輪ブランドは失墜したし、これらの問題を今後も放置していては世界最高峰のスポーツイベントとは二度と言えなくなるだろう。改革や改善は絶対に必要だ。

だが、それと現場で行われる競技は別だ。マイナー競技とされるスポーツにとって五輪は、世間の注目が集まる唯一のイベントであり、それによって競技が支えられている面も否定できない。開催される以上、彼らに最高の舞台を用意する選択肢を常に考慮するべきだし、少なくともそのための意見や要望を表明する自由は保障されるべきだ。

吉田選手は現場の一人として、自分の考えを自分の言葉で伝えた。吉田選手は、発言の中で自身の考えを絶対に正しいとも語っていない。自らの考え方や意見を表明しただけである。誰かに自分の意見への賛同を強制しているわけではない。

その発言を「不謹慎だ」、「問題の重要性をわかっていない」と大枠でNOとするのは違うと思うし、彼に反対意見を強制させようとするのはもっと筋違いだ。

Jリーグは感染対策を徹底と入場制限の上で有観客で開催されている

組織として、規約が、権限が、社会情勢が・・。今大会はそんな言葉が各所から何度も聞かれた。だがスポーツは人が行うものである。その現場からあがる声は、最終的にどういう決断に至ろうとも、結論を判断するための重要な情報であるべきだ。相手方の意見も理解した上で却下するのとと、意見なしのまま却下では同じ結論でも性質がまるで違うのだ。

また、このまま黙していては、東京五輪のときに現場から特別に大きな意見は出なかったとされ、後の世代に影響を残す可能性もある。今後は「前例があるから」と深い議論もなく同じ決定がくだされるかもしれない。

だからこそ、あくまで個人的な意見としながらも、羽根田監督は「力をもらった気がした。彼の発言を聞いて、現場の自分たちももっと頑張らなきゃと思った」と、吉田選手の姿勢に共感したのだと思う。

今大会ほど競技や選手以外にスポットが当たり過ぎ、アスリートの声が聞こえにくい大会はない。そんな状況であがった声であることを忘れてはいけない。

reported by 藤原裕久

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