【コラム】 V・ファーレン長崎、14回目の誕生日 「そこに至るまでを支えてくれた、協力してくれた人がいなければ、そういうこと(J1昇格)も無かったと思います」~高木監督の言葉から感じたクラブのつながり~
「チーム名は、V(ヴィ)・ファーレン長崎!」
13年前の今日3月13日、長崎県プロサッカークラブ推進委員会の小嶺忠敏委員長(現長崎総合科学大学附属高校サッカー部監督)、岩本文昭V・ファーレン長崎初代監督(当時)らが揃う中、長崎県雲仙市国見町の「遊学の里くにみ」で行なわれた会見で、初めてチーム名が発表された。その日から14年。今日でクラブはちょうど14歳の誕生日を迎えたことになる。
当初のクラブ事務局住所は長崎市の長崎新聞社内。それからすぐに雲仙市の「有限会社タツエイ環境」の2階に移り、2006年に当時のコミュニティパートナーだったリンガーハットグループの支援を受けてリンガーハットの研修施設があった諫早市の多良見町へと移転。2016年に施設の老朽化を受けて、現在の多良見体育センター内へと移転した。
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