【きちルポ】フランク・シュミットを知っているか?今の時代に必要な《普通》のヒーロー伝
▼ 真のヒーロー伝
たぶん、おそらく、きっと日本では話題にならない話を今回はご紹介したい。
2024-25シーズンのブンデスリーガ27節(3月28-30日)で歴史的な記録が生まれたのをご存じだろうか。
ドルトムントのドイツ代表DFニコ・シュロッターベックがCBでありながらCKのキッカーとして2アシストをマークしたこと?ホッフェンハイムが審判のミスジャッジでPKを獲得し、アウグスブルクGKフィン・ダーメンが684分ぶりとなる失点を喫したこと?日本代表FW町野修斗がプレーするキールが35分で3選手交代という荒業にでたこと?
どれもが確かに刺激的なテーマだけど、そうじゃない。そんなもんじゃない。
この物語の主人公が所属するクラブはハイデンハイム。ドイツの南東部にある人口わずか4万5千人の小さな町にあるクラブだ。駅から小山を超えてお城のようなホテルを超えて歩いていくと山の合間にスタジアムが見えてくる。収容は1万5千人。
大きなモダンなスタジアムが標準武装されているところが多いブンデスリーガにおいては小規模なノスタルジーを感じさせるところだ。きらびやかなスター選手がいるわけではない。各国代表選手もほとんどいない。
そんなハイデンハイムの監督フランク・シュミットにフォーカスをあてたい。27節ヴォルフスブルク戦で監督としてクラブ通算700試合を達成したのだ。
今季監督を務めているなかで同一でのクラブ試合数はレバークーゼンのシャビ・アロンソで132試合で2位。3位がマルセル・ラップの126試合、4位がブレーメンのオーレ・ヴェルナーで121試合。5位以下はみんな二桁となる。
そして2位から18位まですべて足した試合数が920ということから見ても、同一クラブで700試合という数字がいかにすごいかが如実にわかるではないか。
シュミットはハイデンハイム一筋。監督に就任したのは2007年9月だ。07-08シーズンのブンデスリーガといえば、名将オットマー・ヒッツフェルトのもとバイエルンがリーグ優勝を果たし、得点王がイタリア代表FWだったルカ・トーニ。
2位には若き日のメスット・エジルやディエゴを擁したブレーメン、そして3位シャルケ、4位ハンブルガーSVと懐かしい名前が並ぶ。順位表を見ていくといま2部のハノーファーやヘルタ、カールスルーエ、3部のコットブスやビーレフェルトだっている。
シャルケではマヌエル・ノイアーが19歳で正GKとしてまばゆい輝きを見せ、バイエルンではオリバー・カーンがベテラン健在ぶりを見せていた。そしてボーフムでは元日本代表MFの小野伸二が奮闘していた時代だ。
ハイデンハイムはそんなトップリーグからはほど遠いオバーリーガで悪戦苦闘しているころだった。ブンデス3部がなかった当時のドイツではブンデスリーガ、ブンデスリーガ2部、3部相当のレギオナルリーガに続く4部相当のリーグだ。
ウルム(現2部)にホームで1-4と敗れたことでクラブ首脳陣は監督の解任を決断。新しく任についたのがシュミットだった。あくまでも最初は暫定としての措置。次の監督が見つかるまでの橋渡し的ニュアンスが強かった。プロサッカーの世界ではよくある話といえるだろう。
だが、これが歴史の始まりだった。シュミットは采配1試合目を2-1で勝利すると、そこから今日まで何一つ変わることなく、チームを指揮し続けている。
クラブ会長のホルガー・ザンヴァルドは「フランクはまさに《指導者としてのパーソナリティ》をもった人物として、常に継続して素晴らしい発展を遂げてきている」と語り、「彼がいなければ我々がブンデスリーガにくることなどなかった。絶対にない。それがさらにヨーロッパカップ戦に出場できるなんてありえない話だった。我々クラブの価値をパーフェクトに体現してくれている」と最大限の信頼とリスペクトを今も変わらず口にしているのだ。
(残り 2391文字/全文: 3981文字)
この記事の続きは会員限定です。入会をご検討の方は「ウェブマガジンのご案内」をクリックして内容をご確認ください。
ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。
会員の方は、ログインしてください。
外部サービスアカウントでログイン
Twitterログイン機能終了のお知らせ
Facebookログイン機能終了のお知らせ