中野吉之伴フッスバルラボ

【無料記事】《問いかける》とは《光》をあてる行為。質問ですべては解決されないけど、選択肢を奪わず進む道を示す大事な方法

---可能性がどこにじゃなくて、可能性がもうある中で、自分たちがそれを形作っていくということになるという解釈があってますかね?どこにでも行けるし、何もかもを使えるけど、何をどのようにやると、その可能性から自分が望む方向にいけるのかな、チャンスを手にできるのかなというニュアンスが面白いかなと思いました。自分でチャレンジしていくのが可能性との向き合い方としてピンとくる表現になるかな?

藤代 そうですね。僕も確かに意図せず、使ってましたね。

《質問する》というのを僕は大事にしてまして。《問いかける》って僕なりの解釈だと《光》だと思ってるんですね。暗闇のなかを歩くのって誰しもが不安で、思うようにいかないじゃないですか。そこにぼんやりと光を照らすことで道筋が見えたりする。ちょっとぼんやりの光だと抽象的な考え方とか道筋しか見えない。遠くまで一本で貫くようなレーザービームみたいな光があると、まっすぐ奥の方まで見えますよね?

光をどのように使い分けるかが質問の効果だと思っていて。抽象的に照らすこともできるし、すごく鋭く具体的に質問することもできる。これを使い分けることが彼らの暗闇のなかを照らす行為だと信じてやっています。

アドバイスだったり指示でもいいんですけど、最終的に歩き出すのが子どもたちなので、できるだけ彼らが選択するというのをしてほしい。

だから質問という形を使っています。

---その例でいうと、暗闇の中でどっちに行こう?としている子どもに、外から急に『いいから前に向かって走れ!』というのが罵声であったり、大人からの強制ということになりますね。ひょっとしたら目の前にすごく大きな障害とかもあるかもしれないのに、配慮なく誘導するのは危険ですよね。

藤代 あ、中野さん、《ダイアログ・イン・ザ・ダーク》という活動にご参加されたことあります?日本だと東京と大阪でありますね。

---暗闇のなかでこう誘導してもらうっていうやつですよね?ドイツでもあります。

藤代 暗闇の中で目が見えない方がアテンドしてくださって、対話したり、ボールを転がしたり、お茶を飲んだりするんですけど。あそこって暗闇だから全然前歩けないんですよ、当たり前なんですけど(笑)。あれを体験していると、中野さんが今言ったように前走れって言われても走れなくて。そうやって知識として知ったりとか、想像する機会があるといいなと思いました。

---そういえば、ドイツの指導者講習会の一コマでチームビルディングの一コマでやったのがあったの思い出しました。2人1組になって前の人が目隠し、もう一人が真後ろに立つんですね。で、後ろの人が前の人の両肩をポンってたたいたら前進、もう一回たたいたらストップ、左肩だけたたいたら左に90度曲がる、右肩たたいたら右に90度曲がる。

そうやって前の人を後ろの人が操作をしてゴールに導くというゲームをやったんですけど、やっぱり見えてないと動けないし、最初は信じろって言われても怖い。でも一回その中でパートナーの操作通りにやってゴールにたどり着いたという経験があるとお互いに信頼関係が取れるというか、これがコミニュケーションなんだなというのを感じられるんですよね。

そういう機会を持てるっていうのは大事だなと。

藤代 僕たちって視覚で多くの情報を取ろうとしていて、それが優位になりすぎちゃう。そして視覚から入ってくる情報だけに頼ってしまうと、先入観を作りすぎてしまう。眼で見た情報って多いって言いますよね、脳科学的にも。

眼で見たものが固定概念とか先入観を生み出してそれが壁となってその子のことを知ろうとしない。知ったつもりになるというのは僕にもあった。

《あの子はこう》《この子はこう》というレッテルを指導者同士で貼ってしまうとなかなか打破できない。そして指導者がその現場で一人でみている状況だと多角的にもならない。子どもたちとの関係性はなかなか良くならない。

---実は考えてきていた質問のなかに「相手の立場に立って考えるというけど、そのために大切なのはなんでしょう?」というのがあったんですけど、どう思いますか?

藤代 できます?無理じゃないですかね?

---ですよね。100%は無理ですよね。

藤代 だから僕は《質問する》という手段をとるわけです。《質問する》っていろんな使い方があると思うんですけど、相手のことに興味をもって相手のことを知るということができる。相手の立場に立つというのにフィットするかわからないんですけど。

---相手の立場に立って考えようとして、「相手はこう考えてるんだろう」と思い込んでしまうこともあるじゃないですか?そのほうが危険だったりすることもあるわけですもんね。

「こう思っているんだろ?だったら・・・」発進になってしまうと、本人の本音が置き去りになってしまう。

藤代 そうですね。例えばドイツなんかは進んでいるかもしれないですけど、LGBTの方とか、障害を抱えている人の立場に立つことって難しいじゃないですか。だったら同じ事をして、同じ体験をしてみるという疑似体験はできるんですけど、その人たちとの対話を通して知ろうとすることが欠かせないと思うんですね。先入観って知ろうとしないことから生まれてしまうと思うので。

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