J3番記者座談会LIVE(J論)【4/17(木)21時】

中野吉之伴フッスバルラボ

【無料記事】《問いかける》とは《光》をあてる行為。質問ですべては解決されないけど、選択肢を奪わず進む道を示す大事な方法

▼ 新年のあいさつ

2025年は新しいことにどんどんチャレンジしていきたい。

頭の中で思い描いているプロジェクトをどんどんスタートさせていきたい。うまくいかないことだってたくさんあるだろう。ひょっとしたら今年よりもヤキモキしたり、叩きつけられることだってあるかもしれない。でも、受け身に生きている中で生じるそれと、アクティブに動いたプロセスとして生じるそれとはまったく意味も意義も違う。

生涯成長期であり続けるために、足元謙虚に大事に踏みしめて、でも視線は常に未来を見据えて、クリエイティブに、イノバーティブに、ポジティブに歩いていこう。

年の終わりとともに新たな希望が芽吹きだす。大みそかとはそういう日なのだ。日本でも、ドイツでも、世界中でも、2025年が健やかで安らかで朗らかな1年となりますように。そしてそれがそれからの日々の大きな礎となりますように。

2024年最後のコラムはこんな言葉とともに締めくくった。そして新年をしっとりと迎えることができた。

一年の計は元旦にあり。ここはシンプルにいきたい。

頑張る時は精いっぱい頑張る。休む時は思いっきり遊ぶ。

メリハリつけて今年も日常と向き合いきたいものだ、と願う。

1月2日から家族で3泊4日のプラハ旅行へと出かけたのだが、心がどんどんほどけていくのを感じた。何かあるごとに旅行に行けたりはしないけど、長期休暇ごとにこうやって家族で過ごす時間と機会があるというのは、僕の生活においてどれほど大きなウェイートを占めていることか。心がすっきりして、頭がすっきりすると、そこからあふれてくる活力はそれまでとはやはり違う。明らかに違う。

「2025年はへび年で僕は年男だからいい予感がする」という感覚ももって歩む。きっと予感を超えた何かを手にできる。そう信じて。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

中野吉之伴

▼ 藤代圭一さんと対談

さて、僕は1月9日から28日まで一時帰国。そして10日には東京の品川で質問メンタルコーチの藤代圭一さんと対談。そんな藤代さんと以前対談した時の一部を今回はアップしたいと思う。

1月10日まで無料公開とするので、是非読んでほしい。質問力の大切さをとても感じられる内容なのだ。

---子どもたちとの関わり合い、大人のあり方というのはどこであっても共通のテーマでありますね。藤代さんは《子どもの可能性》と聞いてどういうことをイメージされますか?

藤代 子どもの可能性ですか?いやぁ、子どもに限らず僕は可能性しかないと思っています(笑)。 《つぶさないようにしたいな》というのが前提としてありますね。《僕たち大人が可能性を狭めていかないようにしたいな》と。だから《広げる》という感覚はあまりないですね。

---可能性って、ポジティブなだけではなくて、ネガティブな可能性という方向もあるわけじゃないですか?

藤代 確かに!ネガティブな可能性についてもありますよね。

---それこそ狭めていった結果、《本来いけるようなところにいけないという可能性》という見方もできるわけですよね?

藤代 なるほど、確かにそれを踏まえての可能性ですね。可能性ってそう考えると難しいですね。

---難しいんですよね、何気なく僕らは使っているけど、いろいろ解釈ができる。

藤代 可能性に対する答えになるかはわからないんですけど、僕としては《選択肢を奪わない》ということをとても大事にしていて、AでもBでもCでもDでもどんな選択肢でもいいんですけど、僕らはついつい《Aが最適である》とか、《Aが最高の手段である》と仕向けてしまうことがたくさんあると思うんですね。

仕向けなければならない場面もあるとは思うんです。あ、生死がかかる部分は除きますよ。スポーツとか、生活とか、勉強とか、生き方とか、選択肢がたくさんある中で、Aを選択してほしいけど、Aはいやだという子はいますよね。

そんな時に僕たちはそんな子供の声を聞ける関係性だったり、あり方でいたいなと思っていて。

ちょっとだけ自分の話をさせてもらうと、なんでこういう仕事をしているかというと、サッカーコーチをもともとやっていたんですけど、サッカースクールで結構指示・命令・暴言というのをやり続けてしまっていた結果、サッカースクールの人数が激減してしまったことがあったんですね。

最初のころはそれこそ子どもたちのせいにしてました。

《集中力がない》とか《やる気を出さない子どもが悪い》って考えて、切り捨ててしまっていた。でもそうしたことが続いてしまった時に、子どもに「どうしてやめるの?」と聞いたら、「もうサッカー嫌いだから」という言葉を聞いて、ガツンときたんですね。

その後いっぱい勉強してきた中で、彼らが臨む方向のサポートをしたいなと強く思うようになったんですね。それまでは僕が勝手に《こここそが輝かしい未来なんだ》というところに引っ張ろうとしてしまっていた。でも、《子どもたちは違うところに行きたいのかもしれない》というのに、ようやく気づくようになりました。

だとしたら行きたいところとして「ここはどう?」と提案するのはいいと思うんですけど、行きたくもない場所に引っ張っていくというのは誘導尋問を超えて、ある意味拷問のようにさえ感じられてしまうというのに気づきまして(苦笑)

今は《質問をする》というスタイルを取っています。質問ですべて解決するわけではないんですけど、彼らの選択肢を奪わないことによって、彼らが進みたい方向に行くサポートができるようになったらいいなと思っています。そうすることで、彼らの可能性が広がるならうれしいですね。

※ そんな藤代さんとの対談はこちら↓↓↓

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