J3番記者座談会LIVE(J論)【4/17(木)21時】

中野吉之伴フッスバルラボ

【対談】ヘルタ育成部長パブロ・ティアムに聞いてみた①「育成でも戦術論ばかり語りたがる指導者が増えたが、サッカー自体はいつの時代も変わらない」

▼ ヘルタ元育成部長パブロ・ティアムにインタビュー

ドイツの首都ベルリンは350万の人口が暮らすヨーロッパでも大都市のひとつ。国際色も豊富で、様々なルーツを持つ人が生活している。サブカルチャーが盛んな地域も多く、他国の文化を取り入れるのも比較的早い。

ドイツだけどドイツっぽくない街。

そんなベルリンにあるブンデスリーガクラブのヘルタ・ベルリンを尋ねた。トップチームは残念ながら2部リーグへ降格となったが、育成アカデミーからは数多くのブンデスリーガ選手、代表選手が輩出されているクラブだ。

それこそ2016年に出版された拙著「サッカー年代別トレーニングの教科書」(カンゼン)で当時ヘルタ育成部長だったフランク・フォーゲルとのインタビュー記事を特別コラムとして取り上げたが、ドイツ国内においてトップレベルの育成アカデミーと評価されるだけの明確な哲学とコンセプト、そしてベルリンという都市ならではの取り組みと悩みがよくわかる話を聞くことができた。

ヘルタの育成アカデミーを訪れたのはその時以来となる。育成部長は元プロ選手のパブロ・ティアム。バイエルンでも出場歴があるが、最も長く所属していたのはヴォルフスブルクで、その現役最後の年に一緒にプレーしたのが現在フランクフルトでプレーする元日本代表キャプテンの長谷部誠だった。

ティアムが長谷部について語った記事はこちらなので、まだの方はぜひ読んでいただきたい。

ここからは、ティアムが様々な視点で様々なテーマについて語ったインタビューをお届けしたいと思う。

—-パブロ・ティアムさん、今日はお時間を取っていただきありがとうございます。まず最初にどのようないきさつでヘルタへ来られたのかをお話しいただけますか?

ティアム「私がヘルタにきて1年半になりますね。ここでは育成アカデミーのチーフとして仕事をしています。以前所属していたヴォルフスブルクでも同じポストでした。私はプロ選手として18年間プレーしました。現役時代はケルン、シュツットガルト、バイエルン、ヴォルフスブルクでプレーをし、2008年に引退したんですね。

引退後は、育成に関する様々なポストについていました。ヴォルフスブルクではセカンドチームの監督もしましたし、最後の3年間は育成アカデミー全体の統括をしていました。

今回ヘルタからお話をいただいたんですが、私の現役時代から家族はずっとベルリンで暮らしていたんですね。私がヴォルフスブルクでプレーしていた時はヴォルフスブルクとベルリンを電車でよく行き来していました。(注:ドイツ版新幹線ICEで1時間ほどの距離)

ベルリンで仕事ができるならそれはいいことだなと思ったんです。それだけではなく、ベルリンという巨大な街が持つ非常に大きなポテンシャルを感じていますし、ここで暮らす人たちが持つ多文化さはドイツのほかの町にはないものがあります。もちろんヘルタでの仕事内容がとても刺激的だったということもあって、

そうした様々な要素があって、移籍することを決断しました。ベルリンでの生活は気に入っています。いつも家族のそばにいれますしね」

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