【追悼コラム】稀代のストライカー ゲルト・ミュラーはほかのポジションでも一流?別格中の別格の存在だった
《追悼》19歳の見習い記者に「一緒にプレーしていいですか?」ゲルト・ミュラーの“記憶と記録に残る”ゴール感覚と謙虚な人柄(中野吉之伴)#欧州サッカー #ブンデスリーガ #バイエルン #ゲルト・ミュラー #フランツ・ベッケンバウアー https://t.co/UJpcRsgPVi
— Number編集部 (@numberweb) August 24, 2021
▼ ドイツサッカーをけん引したゲルト・ミュラー
稀代のストライカーが星となった。
70年代、バイエルンと西ドイツ代表が黄金期を築き上げた立役者の一人ゲルト・ミュラーが75歳でこの世を去った。僕がドイツに渡り、地元のクラブチームでプレーをしたり、子どもたちのチームで監督をしているときに保護者と話したり、指導者講習会で指導者仲間とディスカッションをする中で、何度も何度もミュラーの話を聞いたことがある。
「ゲルト・ミュラーとフランツ・ベッケンバウアーがその後のドイツサッカーの礎を作った」
そう語る年配のサッカーファンは本当に多い。そしてそれだけの記憶と記録に残るプレーでバイエルンと西ドイツサッカーをワールドクラスへと導いた存在だ。
それだけに、この悲報はドイツ中が悲しみに暮れた。ブンデスリーガでは各スタジアムで黙とうが行われたが、ファンからは盛大な拍手が故人に送られていた。取材でスタジアムを訪れていた僕も手をたたいた。それがミュラーの旅路にはふさわしい。生前、ミュラーがもたらしたゴールシーンの熱狂がよみがえる。素敵なセレモニーだった。
追悼の番組、コラムがメディアにどんどんあげられていく。
ミュラーにとって心から信頼した人物が皇帝フランツ・ベッケンバウアーだという。あの時代、ミュラーとベッケンバウアーが同じチームでプレーしていたのはものすごいめぐり逢い。それがなければバイエルンの黄金期も、西ドイツのワールドカップ優勝もなかっただろう。
先日ナンバーに寄稿した追悼コラムではそんなベッケンバウアーの言葉も引用させてもらった。
「ゲルトはただの同僚ではない。心から分かち合える友人だ。兄弟のような存在だ。100年後の世界でもゲルト・ミュラーのことは語られているに違いない。そしてどのように彼がゴールを決めていたかを見て驚くことだろうね。不世出の人だ」
ピッチ内でもピッチ外でも二人は通じ合っていたのだろう。
バイエルン元代表取締役カール=ハインツ・ルンメニゲは現役時代を回顧し、「ゴールを決められなかったり、ゲルト的に少ないゴールしか決められなかったときに、怒りをあらわにしながらシャワーを浴びていたことを思い出す」と話していた。
かつてバイエルンでプレーしていた元ブラジル代表FWジョバンニ・エウベルはミュラーからのアドバイスについて語っていたことがある。
「僕にいつもヒントをくれていたんだ。ペナルティエリアでの動き方とか、あとゴールがなかなか決まらない時期でも落ち着いてプレーしなければならないとか」
バイエルン代表取締役で元ドイツ代表GKのオリバー・カーンは公式ホームページで「現役時代にゲルト・ミュラーと対峙することがなくてよかった?」という質問に対して、「間違いないね。彼はペナルティエリア内の状況において、どう動けばいいかというものすごい感覚をもっている。彼はまさに天然素材のFWだ」と語っていたことがある。
得点へのこだわりは尋常ではなかったと数々の選手や監督、関係者が証言しているが、そんなミュラーが実はFW以外のポジションでプレーしたこともあるのをご存じだろうか。
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