ドイツで”普通”で”常識的”な指導を初めて受けた時の衝撃と19年前の決意。「ここで育成のエクスパートを目指したい」
▼ 吉之伴の歩み Vol.2
Vol.1「どうしてドイツへ?どうやってドイツへ?自分のルーツを振り返りながら、これまでの歩みをつづっていきたい」はこちら
高校でサッカーと出会い、すぐ好きになったものの、そこは日本の部活動だ。初心者の私にとって公式戦は外から応援するしかないよそ様の大会だ。それもしょうがないと当時は思っていた。動き方だって感覚的なものだし、運動量も技術も足らないしなぁというのは自分でだってわかる。小~中学生時代にバリバリサッカーをやってきた同期や後輩たちと比べたら、全然別のカテゴリーにいたのだろう。甘く見てんじゃねぇよと言われちゃうような存在だったわけだ。
強豪校でもない高校の部活としての公式戦が年間数試合しかない時代。顧問も学生コーチも、一つの試合へのこだわりだってそうとう強かったことだろう。そりゃレギュラーしっかり決めて試合に臨むしかなかったのかもしれない。
でもね、俺だって試合に出たかったんだ。
試合に出て、本気でサッカーをして、
負けて悔しがって、勝って喜んでというのを味わいたかったんだ。
始めたばかりだから試合に出る資格がない?
そんなこと誰が決めたんだ?
しょうがないことを飲み込み続けなきゃいけなかった。
ある日の練習試合を思い出す。その日は最初に1軍戦、そのあとに2軍戦の試合が組まれていた。私は本来2軍戦でスタメンから出る予定だったんだ。でも1軍戦がふがいなかったようで憤慨したコーチがレギュラーメンバーを下げようと、私を交代で出場させたんだ。最後の3分だけ。
大敗後、1軍の試合に出た選手は全員有無を言わさずの30分間罰走。3分間出場しただけの私も走れといわれた。ボールタッチは0、出られるはずだった2軍戦にも出られず。それなのに「罰なんだから、いいから走ってこい」というコーチの叫びに飛ばされるしかない自分。
悲しかったな。チーム内で誰よりも試合に出れなかったあの日。こういう思いをしたくないから野球を離れてサッカーにきたんだけどな。部活という檻の中じゃどこも大体そんなもの。それは大人の理屈。子どもには純粋な思いがあるのだ。自分がやりたいことをやりたいという純粋さが。
ある意味、一つの原体験だともいえる。こうした体験を、いまの若い選手にしてほしくない。指導者は正しい知識と人間性がなければならないんだ。これが今のモチベーションの一つになっているというのは、私にとって哀しいことなんだが。
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