【石井紘人コラム】日本語の難しさ
「初の大仕事」と意気込んでいた。
私は原稿を書くのが早かった。が、拙かった。取材に行き、原稿を書き、編集部にダメ出しをされる毎日だった。その編集部は、サッカー界に強い編集部だった。だから、ほとんどのカテゴリーの取材に行くことができた。
だが、ライターとしての仕事は皆無に等しかった。
それでも一か月に一度、私は編集部に足を運んだ。ほとんどが、こじつけだった。国立競技場で三級審判員の試験があった後に、「時間が空いたんで」と言いながら、事務所に押し掛けたこともあった。編集部の方々は何も言わずに受け入れてくれた。相変わらず、書きたいことを日本語に消化しきれていない原稿は赤字だらけだったけども。
そんな私に2007年、チャンスが巡ってきた。上川徹氏の著書『平常心』の手伝いを終えた後、「日本サッカー協会(JFA)とのプロ審判員契約を終了した上川が、新たにプロ審判員たちを指導する職につくから、それをレポートしないか?」という仕事がきた。
この仕事のメインテーマは、「インストラクターという仕事とは?」「審判員はどのように開幕を迎えるか?」である。
しかし、私はひそかに裏テーマを掲げていた。それは共同通信社が配信した【審判団の注意に憤慨 浦和のブッフバルト監督】についてだ。
4年連続の決勝進出を逃した浦和のブッフバルト監督は、 後半に退場処分を受けた闘莉王が試合前に審判団からファウルしないよう注意されていたことに憤慨した。圧力と受け止めたようで「こんなことは日本だけ。すべて同じ条件でプレーすべきだ」と納得いかない様子だった。 後半に2度目の警告を受けピッチを去った闘莉王は「変なこと言いそうだから、
きょうは何も言いません」と口をつぐんだ。
コミュニケーション能力の高い上川が、この件をどのように分析するかを聞きたかった。メインテーマの話が終わった所で、
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