【連載第二回:家本政明取材記】受け入れられた審判
~第二章~
始まりは2005年J2第16節、サガン鳥栖×ザスパ草津戦。
後半ロスタイムに鳥栖PA内で草津・高須洋平が「足がもつれただけ」(高須)らしい(*筆者は試合を見てないので何とも言えない)が、鳥栖のファウルとしてPKを宣告。更に、このプレー時、高須から数メートル離れた位置にいたDF八田康介にイエローカードを提示してしまう(Jリーグ規律委員会において、人違いであったとして飯尾への警告に訂正)。鳥栖の松本育夫監督は試合後、「これだけの“大誤審”を見たのは私の長いサッカー人生で2回目。1回目は二十数年前の国際試合での八百長試合だった」と家本を非難した。
“全国区”になったのはTV中継のあったJ1第29節浦和レッズ対川崎フロンターレ戦、関塚監督のコメントが報道で何度も使われた試合だ。
立ち上がりからフィフティな判定ではあるのだが、選手やサポーターの理解をえられず、誤審のような空気が出来上がっていってしまった。
たとえば、前半5分の長谷部誠へのシミュレーションでの警告は、よく見ると長谷部がファウルを貰いに行っているのがわかるし、7分の佐原秀樹のPA内でのファウルに対する警告も、佐原が三都主を押さえてはいる。判定は間違ってはいないのだろうが、どこか家本の判定を受け入れられない。そこには“立ち上がりなんだから空気を読んでよ”という気持ちもあったのかもしれないが、一方で家本にも問題はあったといえる。
当時、現役のSRとして家本の同僚であり、先輩だった上川徹(現:JFAトップレフェリーインストラクター)は、こう振り返る。
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