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【無料公開】オシムから日本メディアへの宿題 追悼鼎談:千田善×長束恭行×森田太郎<3/3>

「ジェフのことはずっと気にされていましたね」

──それにしても森田さん、オシムさんの解説付きで試合が見られるなんて、サッカーファンからしたら夢のような時間を過ごされていたんですね!

森田 もちろん僕だって、向こうでライセンスを取得しましたから、サッカーを見るのは大好きですよ。ただし、時と場合によるじゃないですか。こっちは早く書類を確認してもらいたいのに「いいか、こっちのサイドをよく見てみろ」とか「お前ならどう思う?」とか言われるんですね。それで僕なりの考えを言ったら「お前はわかってない!」と(笑)。肝心の書類は、約束の時間のラスト5分で一気に片付ける感じでした。

千田 サッカーに関しては「マニア」というか「変態」の域に達していましたね(苦笑)。トレーニングがない日は、ヨーロッパの試合を12試合ずつ視聴していました。それと対戦相手の映像は、何度も繰り返し見ていました。それくらい研究熱心な人だったんですけれど、逆に研究される立場でもあったみたいですね。マンチェスター・ユナイテッドの監督だったアレックス・ファーガソンは、オシムさんと同い年なんですが、オシムさんが指揮していたユーゴ代表の試合映像を何度も見ていたそうです。

──オシムさんは現代のサッカーだけでなく、未来のサッカーについても見通しているところもありましたよね?

森田 僕が印象に残っているのは、出会って間もない頃ですから2005年くらいですが「これからのサッカーはバスケットボールになる」って、当時から言っていましたね。ペナルティエリア周辺では、手を使うのと同じくらいの技術が求められるという意味での「バスケ」だったと思うんです。まさに、そのとおりになりましたよね。

──長束さんは、オシムさんとの語らいの中で思い出すことはあります?

長束 取材に行くたびに、教え子の事をよく聞かれましたね。「あいつは今、どうしている?」とか「今も元気でプレーしているか?」とか。それと、ジェフのことはずっと気にされていましたね。奥さんのアシマさんは、ジェフのことはあまり良く思っていないところもありましたが、オシムさんは本当にジェフへの愛情が深かったです。

──オシムさんがご存命のうちにJ1に復帰してほしかったですね。

長束 そうですよね。ジェフ時代の通訳だった間瀬さんが、指導者を目指しているということで、私にアドバイスを託したこともありました。ジェフのJ2降格が決まって、間瀬さんもクラブを離れる2009年だったんですが、その時のアドバイスは3つありました。

「なぜ降格したのか、自分でよく考えてみろ」「指導者としてのオリジナルを目指せ」それから「海外も含めてとにかくサッカーをたくさん見ろ」でしたね。直接「こうしなさい」と言わないところが、オシムさんの流儀なんですよ。

──長束さんも森田さんみたいに、サッカーに夢中になっているオシムさんに待たされることが多かったんでしょうか?

長束 ご自宅に取材に伺う時、クロアチアのスポーツ紙を必ず持っていってお渡しするんですけど、それを熟読するのが楽しみで仕方がなかったですね。それが30分くらい続いていると、アシマさんが「そろそろ取材に応じてあげたらどうなの?」って助け舟を出してくれるんです(苦笑)。

森田 それ、目に浮かびます(笑)。

千田 さっき森田さんが、TVを見ながらオシムさんが解説していたという話をしていましたが、日本代表監督時代も目の前の試合を見ながらずっとしゃべっていたんですよ。それを僕が逐一通訳していると、一言も聞き漏らすまいと反町さんや大熊(清)さんが近づいてきて耳をすませていましたね。それもまた、オシムさんなりの指導者育成だったんでしょうけれど、試合中もずっと通訳するのは大変でした(苦笑)。

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