旧市民球場跡地に新スタジアムの夢を紡いだ人々 「(オールフォー)ヒロシマ・ノート」第02回< 2/3>
平和記念公園と原爆ドームを縦断する「平和の軸線」。その原爆ドームから相生通りを渡ったところに、2023年3月31日にオープンした、ひろしまゲートパークがある。
イベント広場の「HIROSHIMA GATE PARK PLAZA」、そして商業施設「SHIMINT HIROSHIMA」からなる、ひろしまゲートパークには、開業から1年でおよそ630万人が来場。ここがかつて、広島市民球場だったことを知る人は、広島県民以外はそれほど多くはないだろう。
現在のひろしまゲートパークに、旧市民球場の残滓を見出すのは難しい。ようやく見つけたのが、広場の南側の一角に設置されていた、スタンドのベンチを切り取ったようなモニュメント。ここは「憩いの場」という、往時の熱気とは程遠い、ぼんやりしたネーミングが与えられている。
ここから見えるのは、カープファンにとっては聖地とも言える「勝鯉(しょうり)の森」。そこには、セントラルリーグ優勝記念碑(1975)、日本選手権シリーズ優勝記念碑(1979、80、84)、そして衣笠祥雄世界新記録記念碑(1987)という、3つのモニュメントが並んでいた。
広島といえばカープ、カープといえば広島。そんなカープが長年にわたり本拠地としていた広島市民球場は、まさに広島県民にとっては心の拠り所といえる土地であった。ところが1997年から始まっていた、旧東広島貨物駅のヤード跡地に新球場を建設する案が、2000年代半ばに入ってから一気に加速。2009年にMAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島が、カープの新たなホームグラウンドとなる。
1957年にオープンした広島市民球場は、半世紀以上を経た2010年に閉鎖。その後は「勝鯉の森」を残して解体されたが、問題はそのあとだ。2023年にひろしまゲートパークが開業するまで、実に13年もの間、この土地は放置状態にあった──。より正確に言えば、跡地利用が定まらないまま月日が流れていった。
逆に、この13年の空白期間が「街なかにサッカースタジアムを」という機運が醸成される契機となったのは興味深い。もしも市民球場が移転せず、同じ場所で改修となっていたら、どうなっていただろうか?
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