海外移籍の歴史を整理してみる<2/2> 月イチ連載「大人になった中坊コラム」
■第7期:代表の守備陣がすべて海外組に(2019)
第5期(2010)のブンデスリーガ大流行時点で、爆発的に海外移籍が増えたものの、GKとCBについては海外移籍が少ない状況だった。
2011年アルゼンチン開催のコパ・アメリカにおいて、日本が招待を受け参加を検討した際、東日本大震災の影響で国内組の参加が難しいことから「オール海外組での参加は可能か」という議論が、サッカーファンの間で起こったことがある。
結論は「無理」。当時VVVフェンロに所属していた、吉田麻也とコンビを組む海外組のCBがいなかったからだ(結果として、日本のコパ・アメリカ参戦は見送られた)。
ところが2019年、GK含めたDFラインの日本代表選手が、控え組も含めてすべて海外組でユニットを組める時代が到来したのである。
GK:シュミット・ダニエル、中村航輔
CB:冨安健洋、板倉滉、町田浩樹、渡辺剛
SB:伊藤洋輝、菅原由勢、中山雄太(※2024年夏にJリーグ復帰)
以前の印象論として「体格の劣る日本人選手が、欧州でDFに挑戦しても通用しないだろう」というものがあった。しかし、上記したCB陣の平均身長は188センチ超。2010年のワールドカップ・南アフリカ大会でのCBコンビ、田中マルクス闘莉王(185センチ)と中澤佑二(187センチ)をも超える身長に達しているし、クラブでも控えではなくスタメンを確保している。
つまり、日本人CBでも十分通用するフェーズに入ったのだ。加えていえば180センチの長谷部誠は、その戦術理解度の高さから現役時代の晩年、フランクフルトでCBとしてスタメン出場していた。またサイドバックの長友佑都(170センチ)も、身長差25センチのズラタン・イブラヒモビッチと競り合い、セリエAにおいて完封勝利を成し遂げている。
体格のハンディをものともせず、欧州リーグで活躍できる上、さらに体格まで恵まれた選手が次々に出てきている。そうなったら日本代表の守備陣も、オール海外組となるのは当然の流れであると言えよう。
■第8期:大卒選手までもが海外移籍(2021)
鹿島アントラーズとジュビロ磐田の2強時代、Jクラブの王道強化戦略は「有望高卒一本釣り」であった。しかし、そうした選手が早い段階で欧州のスカウトの目にとまるようになると、その戦略は次第に通用しなくなる。
この時代の変化に、上手く適応したのが川崎フロンターレ。有望な大卒選手(中村憲剛、小林悠、谷口彰悟など)を生え抜きとして獲得し、チームの軸として抱え込むことでクラブの黄金時代を築くことに成功した。しかし、その強化戦略が崩れたのが、この第8期である。
大卒の場合は22歳からプロ参戦となるため、ヨーロッパのスカウトからすると「年齢が高すぎる」として敬遠されてきた。つまり、大卒選手がJリーグで2〜3年活躍してからでは、すでに25歳となり、ヨーロッパ基準からすると「ビッグクラブへの転売もできない」として網にかからなかった。
ところが2021年を境に「優秀なら20代半ばの年齢でも問題ない」と、大卒選手に対しても触手を伸ばす時代となる。この第8期においては、川崎の守田英正、三笘薫、旗手伶央といった大卒選手が次々と海外移籍。2023年にかけて、チームの屋台骨となる選手たちが相次いで引き抜かれたことで、それまで4回のリーグ優勝を成し遂げた川崎も、以降は2位、8位、8位に甘んじている。
もちろん、これは川崎だけの問題ではない。室屋成、上田綺世、伊東純也、古橋亨吾といった大卒組も続々と海外移籍。かつては「事実上不可能」と思われていた大卒の海外移籍だが、実力さえあれば20代半ばでも欧州のスカウトから声がかかるフェーズに入った。選手にとっては夢のある時代になったと言えるが、Jクラブにとっては強化方針が一層厳しくなったとも言える。

■第9期:高校・大学卒業直後に海外移籍(2022)
Jリーグを経ずに海外でプロのキャリアをスタートさせた、実質的なパイオニアは平山相太だろう。2005年、国見高校から筑波大学に進学したと思ったら、オランダのヘラクレスに移籍。1年目は31試合8得点という活躍を見せた。こうした事例は平山以降もつづいたが、数年に一度というペースであった。
・2007年:伊藤翔(中京大附属中京高→グルノーブル)
・2010年:宮市亮(中京大附属中京高→アーセナル)
・2013年:長澤和輝(専修大学→1.FCケルン)
・2015年:渡邊凌馬(早稲田大学→インゴルシュタット)
・2018年:小池裕太(流通経済大学→シント=トロイデン)
しかし2022年夏、尚志高校のチェイス・アンリがシュツットガルトに入団して以降、毎年2〜3人のペースで高卒・大卒即海外という進路選択が珍しくなくなった。
福田師王(神村学園→ボルシアMG)、花城琳斗(JFAアカデミー福島→シュツットガルト)、佐藤恵允(明治大学→ブレーメン)、宮原勇太(興国高→グールニク・ザブジェ)、吉永夢希(神村学園→ゲンク)、木村晟明(水戸ユース→NHKヴコヴァル)、小杉啓太(湘南U-18→ユールゴーデン)、高岡伶颯(日章学園→サウサンプトン)などなど。
この流れが良いか悪いかというと、過去の平山相太、伊藤翔、宮市亮の3例に限って言えば「どちらとも言えない」である。海外で大成はせず、Jリーグに戻ってきてそれなりに活躍し、日本代表でも何試合か経験しているのが理由だ。
チェイス・アンリ以降の挑戦組についても、おそらく同じ流れだと思う。海外でそれなりにキャリアを積むも、日本代表の主力には定着せずに3〜10年後にはJリーグに復帰、という予想がつく。とはいえ、これだけの人数が挑戦しているのだ。これまでの前例を覆して海外で大成功し、日本代表の主力にも定着する選手が出てくる可能性は大いにあり得る。
ただし大成功の事例が出てきたとしても、Jリーグ経由せずに即海外が王道となる時代が到来することはない、と断言できる。
なぜなら、Jリーグの場合「サッカーに集中できる環境」が、大きなアドバンテージとなるからだ。これが海外の場合、キャリアのスタート時点で言語の習得や食生活の違い、さらには環境面(特に治安)など、サッカー以外で神経をすり減らす場面が少なくない。こうした余計な雑音がない環境のほうが、プロキャリアをスタートさせる選手にとって望ましいことは言うまでもない。
(残り 2017文字/全文: 4696文字)
この記事の続きは会員限定です。入会をご検討の方は「ウェブマガジンのご案内」をクリックして内容をご確認ください。
ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。
会員の方は、ログインしてください。
外部サービスアカウントでログイン
Twitterログイン機能終了のお知らせ
Facebookログイン機能終了のお知らせ