宇都宮徹壱ウェブマガジン

広島と金沢と長崎、それぞれの土地に新スタができた背景 Jリーグはスタジアム建設にどう関わってきたのか<1/3>

 いよいよクライマックスが近づきつつあるJリーグ。週末の試合を終えて、J1J3はあと2節、J2はレギュラーシーズンを終えてJ1昇格プレーオフを残すのみとなった。

 いろいろなトピックスのあった今シーズンだが、2024年で最も記憶に残るものをひとつ挙げるなら、やはり「新しいスタジアムが3つもオープンしたこと」であろう。すなわち、エディオンピースウイング広島(Eピース)、金沢ゴーゴーカレースタジアム(ゴースタ)、そして長崎のPEACE STADIUM Connected by SoftBank(ピースタ)──

 そこで当WM2週にわたり、今シーズン何かと話題になった新スタについて、重要な役割を果たしてきた方々へのインタビューをお届けすることにしたい。先週の小谷野薫さんにつづき、今週ご登場いただくのはJリーグのクラブライセンス事務局スタジアム推進役、佐藤仁司さんである。

「ミスター」の愛称で知られる佐藤さんは、1957年生まれで東京都出身。1980年に三菱自動車工業株式会社に入社。1990年より三菱サッカー部の主務兼運営委員となり、プロ化準備業務を担当する。Jリーグ開幕後は、200511月まで浦和レッズで運営部長や広報部長などを歴任。同年12月よりJリーグに転籍し、20096月よりスタジアム担当となっている。

 近年、建設が相次ぐフットボール専用スタジアム。その起点となったのが、2015年にオープンした長野Uスタジアムだが、そのさらに源流をたどっていくと2009年に当時の鬼武健二チェアマンの肝いりでスタートした「スタジアムプロジェクト」に行き着く(当初は佐藤さんを含めて2人の小ぢんまりとしたチームだったそうだ)。

 最初は小さなアクションだった。しかしその後、2012年から審査が始まったJリーグクラブライセンスが追い風となり、長野で、吹田で、北九州で、そして亀岡で、次々と素晴らしい新スタジアムがオープン。そして今年、一挙に3つのスタジアムが開業することとなった。

 果たしてJリーグは、一連の新スタジアム建設にどのように関わってきたのか。今回の3つのスタジアムについては、どのような評価をしているのか。またサッカー界のみならず、サッカーに関心のない市民や自治体にも受け入れられる「スタジアム像」とは、どのようなものなのか。こうした私の疑問に対して「ミスター」は詳細な資料を交えながら答えてくれた。

 なお今回のインタビューでは、同じくクラブライセンス事務局の石井正明さん(写真左)にも同席していただき、適時補足していただいた。(取材日:20241023日@東京)

9年前に「まちなかスタジアム」と「シティプロモーション」を予見

──今年オープンした3つのスタジアムですが、こけら落としの試合をすべて現地取材することができました。佐藤さんも現地にいらしたのでしょうか?

佐藤 こけら落としには行っておりません。スタジアムが完成したら、次の現場に行ってしまうので。私たちにとって重要なのは、こけら落としではなくて、その前の段階で行うスタジアム検査なんです。Jリーグ規約に明記されているスタジアム基準の充足を確認して、Jリーグの公式試合の開催に支障がないと見定めなければなりません。

──かなり細かい検査なんでしょうね?

佐藤 そうですね。たとえばピッチの状態、それから各種の備品が所定の場所に設置されているのか、すべてチェックします。それらが「問題なし」と確認されて、初めて公式試合ができるわけです。その時点で、私たちはお役御免。新しくできたスタジアムには、基本的に足を運ぶことはないですね。「あとはホームタウンで上手く育ててください」という感じ。もちろん見捨てるわけではなく(笑)、困ったことがあればいつでも相談に応じます、というスタンスです。

──実は佐藤さんには、今から9年前の2015年、「フットボール批評」の取材でインタビューさせていただいています。この時に佐藤さんは「これからのスタジアム像」について、2つの重要な指摘をされていました。まず「まちなかスタジアム」。そして「(スタジアムによる)シティプロモーション」。これらは、広島と長崎の新スタに見事に当てはまるんですよね。9年前から佐藤さんが見通していたことに、あらためて驚かされます。

佐藤 恐縮です(苦笑)。要するにスポーツ界からだけの訴求では、スタジアムづくりは現実的に厳しい、ということなんです。地域の行政、財界、そして市民。まず、そういった後押しがあること。そしてスポーツ界だけでなく、地域全体の活性化に寄与するものと認められて、初めて新しいホームスタジアムづくりが可能になる。サッカーをはじめ、スポーツだけの話で完結する話ではないんです。

──「スポーツだけの話で完結する話ではない」というのは、スタジアムに関する取材を続けていて、私も強く感じるところです。ところで広島や金沢や長崎のスタジアムについて、佐藤さんが具体的な動きを認識されたのは、それぞれどのタイミングだったのでしょうか?

佐藤 広島については2009年ですね。当時の鬼武(健二)チェアマンは広島のご出身で、「アカシア会」という母校(広島大付属中・高)のOB会があったんです。その先輩方を(JFAハウスがあった)御茶ノ水にお招きして、鬼武さんが緊張した面持ちで「広島に新しいサッカースタジアムを作りたいんじゃ」と発言されているんです。

──「作りたいんじゃ」と。

佐藤 そうです。それが、どうエディオンピースウイング広島(Eピース)に結びついたのかはわかりませんが、私が初めて「広島のスタジアム建設の夢」について聞いたのが、その時でした。

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