【無料公開】書評家つじーの「サッカーファンのための読書案内」第10回 済東鉄腸著『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』
宇都宮徹壱ウェブマガジン読者の皆様、こんにちは! つじーです。『書評家つじーの「サッカーファンのための読書案内」』第10回になります。いつも読んでいただき本当にありがとうございます。
今回のテーマは「国際交流」です。夏から海外サッカーの多くが開幕し、夜ふかしをしたり現地の情報を集めている人もいるでしょう。世界と密に繋がるには現地を体験しなければならないのか。そんな問いを突きつける一冊を選書しました。
「衝動」と「ナルシシズム」の肯定
実に変わっている。こんなエピソードを持つ人間が日本のどこにいるだろうか。いや、著者だけである。どんなエピソードかはタイトルを読めばすぐ分かる。改めて見てみよう。
引きこもりで鬱の彼は、とあるルーマニア映画に衝撃を受ける。もっとルーマニア映画を知りたい。そのためにルーマニア語を勉強し始め、Facebookで多くのルーマニア人と交流し、ルーマニア語で小説を書き、ルーマニアの文芸誌に作品が載る。しまいには『ルーマニア文学現代史 1990-2020』という文学史の本に自分について記述されるまでに至った。
タイトルに戻るが、彼はこれらの事実をルーマニアに一度も足を踏み入れることなく経験しているのだ。日本から一歩も出ずにここまでの国際交流、いや、それ以上のことをやってのけた。
ここまで彼を動かしたのは、簡単には説明できない何かだ。それを僕は「衝動」と呼びたい。なんだかよく分からないが己を突き動かす何か。そこには理屈も利益も存在しない。もっと知りたい、もっと学びたい。その衝動こそ彼のエンジンだ。
本書は単なる「引きこもりが変わった体験をした」本ではない。誰しもが一度は持ったことあり、時には封印している「衝動」を肯定し、その開放を後押しする本なのだ。
僕が彼の考えで好きなのは「ナルシシズム」の肯定である。具体的には「周りと違う自分カッケェ」の精神だ。あえて周りに迎合しない感じ、あえて誰も触れていなさそうなマイナー路線に手を突っ込む感じである。
確かに彼にその精神がなければ「あえて」ルーマニア語や映画に深入りしなかったかもしれない。でも、そのナルシシズムが思わぬ世界に連れて行った。
衝動もナルシシズムも日常生活ではあまり良い目で見られないこともある。それらをもっと肯定することで日々を面白く明るいものにできる可能性がある。そう感じさせてくれるのが彼の言葉だ。
「現地に行った」から偉いのか
著者のルーマニア人生に深く関わる日本人に住谷春也さんがいる。ルーマニア語の専門家であり、数多くのルーマニア文学の翻訳を手がけてきた。他にも1989年のチャウシェスク政権に対する革命を現地で経験している。日本におけるルーマニア文学の生き字引だ。
住谷さんがルーマニア語で作家活動をしている著者を認知したことから交流が始まり、メールで文通する仲になる。1992年と1931年生まれ、61歳差の同志である。
著者の住谷さんへの尊敬の念はもちろんだが、何よりも2人のエピソードからは住谷さんの著者へのリスペクトが非常に伝わる。そこに感銘を受けた。
サッカーファンの世界でも「どれだけ長く応援しているか」や「どれだけ現地に行っているか」がファンの格に重きをなすような風潮は暗にあると思う。どんなに口先で「ファンは平等」と言っていても、うっすら態度に出ている偽善者のような人間も少なくない。
著者は住谷さんと比べればまだまだルーマニア語のキャリアは浅いし、そもそもルーマニアに一度も行ったことがない。だが住谷さんは分かっているのだ。「好き」や「情熱」の本質はそんなところにないのだと。
インターネットが発達し、世界中と繋がることができるようになった。SNSが発達した現代は情報が集めやすくなったことにより、人々の腰が軽くなったと僕は考えている。
旅行に行きたくなったとき、あらゆるツールを駆使して容易に情報を集められる。これにより「インターネットがあるから家にいても世界と繋がれる」時代から「インターネットがあるからどこにでも行くことができる」時代に変化している気もする。
例えば海外サッカーを応援していても、その海外は「行こうと思えば行ける」場所であり、実際に移住したり観戦しに行く人も増えている。
だが、われわれが勘違いしてはいけないことがある。「好き」や「情熱」の本質は、現場を体験した量で決まらないということだ。もちろんそういう体験は貴重だし、リスペクトされるものだ。だからといってそういう体験をしてないことを卑下する必要も下に見る意味もないのだ。
著者に対する住谷さんの態度を読んでいると、これこそ一流なのかと感じ入った。本質を見極められることこそ、一流の人物である証なのだ。
きみも「勇気の書」を手に入れよう
さて、僕が本書を大いに楽しんだ理由がもう一つある。スケールは小さいが、実は僕も著者と似たような経験をしているからだ。
僕は北海道コンサドーレ札幌サポーターであるが別の顔もある。トルコのアダナにあるアダナ・デミルスポルの「日本最初のサポーター」だ。
トルコに行ったこともなければ、トルコ語もわからない。トルコ人の知り合いもいない。そんな僕がひょんなことからXで現地のサポーターによって「日本最初のサポーター」と紹介され、デミルスポルサポとの交流が広がっていった。
デミルスポルサポの中には僕が応援しているというただそれだけの理由でコンサドーレの結果を気にかけてくれる人もいる。交流の成果を北海道に還元できた気がしてうれしい。
著者は「harakiri」を侮辱の言葉として投げつけられたが、僕はキツめのジョークとして「harakiri」ジョークを初っ端からかまされた。日本人といえば「ハラキリ」なのはどこの国でも共通なのかもしれない。
またルーマニア人やトルコ人との交流を通して、「日本人」としてどう振る舞うかを否応なしに考えさせられるのも共通する点だ、著者は文学、僕はサッカーが土俵なので異なる点もあり非常に面白かった。
僕も著者も現地に足を踏み入れたことがないし、今後すぐに踏み入れられるかも分からない。でも「面白そう」や「知りたい」という衝動のまま突き進んだ結果、思わぬ世界が見えてきた。
SNSを見ているとヨーロッパなど実際に海外に行ってサッカー観戦している人たちは目立つし、それなりにいるように見える。でもそれは、ごくごく一部のマイノリティだと僕は思っている。
そりゃ、現地の雰囲気を体験できるに越したことはない。でもね。日本に居ながらでも現地と繋がり続けることはできる。日本のコミュニティで仲良くするだけが日本での楽しみ方じゃない。もっと「衝動」を胸に突き抜けたっていいはずだ。
多くの人にはおそらく「世にも珍しい経験をした人」の本として読まれるかもしれない。だが僕はこれを「勇気の書」だと思っている。今自分が居る場にいながらにして、世界と繋がり、新たな世界を開いていける。
本書を「勇者の剣」にして、自分なりの新しい世界を切り開く人が、ひとりでも増えることを願っている。
※僕がアダナ・デミルスポルのサポーターになった経緯は以下のnote参照。
トルコに縁もゆかりもない僕がどうしてトルコのサッカークラブの「最初の日本人サポーター」と呼ばれることになったか
https://note.com/nega9clecle/n/na44ac9ce0e9b
【本書のリンク】
https://sayusha.com/books/-/isbn9784865283501
【次に読むならこの一冊】川越宗一『福音列車』
近代の「海外に住む日本人」という目線から「日本人」としてどう振る舞うか、どう生きるかということを5つの角度で切り取った短編集。『黒い旗のもとに』の清々しいラストが僕のおすすめである。
https://www.kadokawa.co.jp/product/322112001254/
【プロフィール】つじー
サッカーが好きすぎる書評家。北海道コンサドーレ札幌とアダナ・デミルスポルを応援している。自身のnoteに書評やサッカーの話題などを書き、現在コンサドーレの歴史をつづった「ぼくのコンサ史」を執筆中。ラジオ好きで自らポッドキャストも配信している。
◎note:https://note.com/nega9clecle
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