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【無料公開】書評家つじーの「サッカーファンのための読書案内」第9回 牧野百恵著『ジェンダー格差』

 宇都宮徹壱ウェブマガジン読者の皆様、こんにちは!つじーです。『書評家つじーの「サッカーファンのための読書案内」』第9回になります。いつも読んでいただき本当にありがとうございます。

 今回のテーマは「ジェンダー」です。今月はWEリーグが開幕します。今後のサッカーを知る、楽しむ、考えるためにもジェンダーの切り口でものを見ていくことは必要だと感じます。そのきっかけに本書と書評がなれば幸いです。

この世界はステレオタイプに満ちている

 2024年9月14日、WEリーグは3年目の開幕を迎える。その理念には「女子サッカー・スポーツを通じて、夢や生き方の多様性にあふれ、一人ひとりが輝く社会の実現・発展に貢献する。」とある。多様性の実現がリーグを通して成しえたいテーマのひとつだ。

 その実現のためにリーグが重きを置くのが「女性」という観点である。ビジョンには「世界一アクティブな女性コミュニティへ。」を掲げており、設立の意義の先頭には「日本の女性活躍社会を牽引する。」と大きく宣言されている。

 こうしたリーグの姿勢を支えているのは、ジェンダーに対する課題意識だろう。ジェンダーとは社会的・文化的性差のことで、社会や文化によって作られた性別に対する考え方や、男性や女性の役割や特徴を指す。

 ところで「ジェンダー」や「フェミニズム」という言葉を見るだけで首筋がチリチリして目がつり上がるような方が皆さんの周りにいるかもしれない。「思想が強い」と叫びたくてうずうずしてしまう人だ。

 だが、今回僕が紹介する『ジェンダー格差』が突きつけるのはリアルだ。エビデンスに基づいた実証経済学で導き出される日本や世界のジェンダーの現実。そこには今の世界が居心地がよい人々には不都合な真実もあれば、良かれと思って推進したジェンダー政策が実はまったくの逆効果だったという別の意味で不都合な真実も見えてくる。

 本書は様々な切り口と経済学の研究成果を取り上げている。労働、歴史、地域差、教育、結婚、出産、育児など。わずか200ページ超によく詰め込んだものである

 出てくるエビデンスを読み解く際に非常に重要視されているのが「ステレオタイプ」だ。近年、実証経済学の世界では、女性はこうあるべき、男性はこうあるべきといった規範やステレオタイプがジェンダー格差に大きく影響をもたらしていることが注目されている。

 僕も含む多くの男性は、比較的「なんだかんだいっても社会は平等になりつつある」と思っていないだろうか。この発想に基づけば、会社の管理職や経営層に女性が少ないのは「能力が低いから」や「意欲がないから」と、理系に女性が少ないのも「苦手だから」や「興味がないから」と容易に解釈できる。

「女性は生まれつき競争心が弱い」という話をご存知だろうか。だから経営層に女性は少ないし、女性のキャリア志向は弱いのだと。

 だが、カルフォルニア大学サンディエゴ校のウリ・ニーズィー教授たちの研究によれば、インド北東部のカーシ族は女性の方が競争を好む傾向にあるが、政治家や裁判官など伝統的に権力を持ちそう(つまり競争心が影響しそう)な職業は、男性が担っていたそうだ。これだけ見ても「女性の競争心の弱さ」はステレオタイプではと疑うことができる。

 どんな性別だろうとも僕らは無意識にステレオタイプに絡めとられて生活している。無意識なので慣れ親しんだ振る舞いや言動ににじみ出てしまう。だからこそ「この認識、ステレオタイプでは?」と頭の片隅に置いておくだけでも変化が生まれるのではないか。この考え方はジェンダー以外にも多くの場面で役に立つはずだ。

本当に下駄を履かされているのは誰?

 日本のサッカーでも男性が多くを担ってきた役割を女性が担うような例が増えてきた。審判、監督・コーチ、試合の実況などだ。経営者という観点ではWEリーグの代表(チェア)は2代にわたり女性である。今後も能力があると評価された女性がサッカーの世界で様々な役割を担っていく傾向にはなるだろう。

 ところでWEリーグ設立の意義にもある「女性活躍」という言葉に関連して必ず飛び交う批判の言葉が「下駄を履かされている」である。

 男性が担っても問題ない役割を、女性に担わせたいがために「本来は能力の低い」女性を起用する。そのため本当はその役割を担えるはずだった能力のある男性が割を食ってしまう。

 そんな「下駄を履かされている」批判の集中砲火を浴びそうな制度のひとつが「クォータ制」である。政治家や会社の経営陣の一定の割合以上を女性にするよう定めるものだ。

 この制度、直感的に「ウッ」となる人はいないだろうか。僕もそうだった。そんな制度で、もし能力の劣る人が政治家や経営者になったら、本人はもちろん、社会や会社にとって大きなマイナスだ。また女性側からも、実力で政治家や経営者になっても優遇されて、その地位につけたと思われることがデメリットになるという指摘もある。

 しかし、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)のティモシー・ベズリー教授たちが驚きの研究結果を発表している。政治の世界で女性のクォータ制を導入すると「無能が減る」そうだ。つまり有能な女性議員がより登用され、有能でない男性議員は排除される。むしろ幸せな結末だ。果たして本当に下駄を履かされていたのは誰なのだろうか。

 もちろん、すべての女性登用の事例が、このクォータ制の研究に当てはまるとは限らない。でも、だからといって女性に「下駄を履かされている」と言い募る根拠はなに一つ存在しない。能力のある女性もいれば、能力の劣る女性もいる。能力のある男性もいれば、能力の劣る女性もいる。それだけの話だ。

ロールモデルがサッカーをもっと豊かにする

 先日、J3の松本山雅vs大宮でJリーグの試合配信では初となる女性による実況が行われた。担当したのは信越放送(SBC)の平山未夢アナウンサーである。たまたま試合を途中から見ていたのだが、ニュースを読んでいるかのような落ち着いたしゃべりをベースに、見せ場では感情がダイレクトに伝わる実況を披露しており、非常に聞きやすかった。

 本書でもロールモデル、つまり「お手本」の重要性が論じられている。アメリカの軍士官学校に関する研究では、数学やサイエンスの担当教官が女性だと、男性である場合に比べて女性の学生が後に数学を専攻する割合が高くなるという。また、女性の学生に女性の指導教官がつくと、その教官の専門科目を専攻する傾向もあるそうだ。

 これは単純に「女性同士だから親しみを感じたのだろう」という理由で片付けるものではない。典型的に女性が苦手だと思われているものでも、自分の目の前にそれを得意とするロールモデルが存在する場合、その典型的な固定観念から開放されやすくなる。これぞロールモデルの効果だ。

 僕らは制度さえ平等になれば、何もかも平等な競争が実際になされると思いがちだ。その競争の土俵に上がれないのは実力不足だ。そう思ってしまう。でも現実はそれほど単純じゃない。

 クォータ制に関する別の研究によれば、制度の導入で本来はチャレンジを考えなかった有能な女性がチャレンジを促されるようになったと示されている。女性同士の争いになることで、ステレオタイプの枠組みから誰もが解放されやすくなるのだ。クォータ制は人材の多様化をより進める可能性を秘めている。

 これは、WEリーグが掲げる「多様性」ともつながってくるはずだ。社会で多様性を実現するには、多様なロールモデルが必要である。モデルがいることで、その後ろに長い列が続いてくる。そして多様なロールモデルを作るためには、ある種の制度や政策面での細工が必要になる時期は必ず訪れる。その先に待っているのが、本当の意味での「平等」なのだろう。

 審判における山下良美さん、実況における平山さんの存在はサッカー界におけるそうしたロールモデルのひとつになるだろう。だが、大事なのは、もっともっと異なる特徴をもったロールモデルが、どんどん増えることだ。これは女性に限らず男性もである。

 WEリーグは、まさに多くのロールモデルを作っていく可能性を持つし、現時点でも作っているだろう。多様なロールモデルという観点でサッカーを見ていくと、より深みを増した楽しみ方ができるかもしれない。

【本書のリンク】
https://www.chuko.co.jp/shinsho/2023/08/102768.html

【次に読むならこの一冊】野村 浩子『市川房枝、そこから続く「長い列」 参政権からジェンダー平等まで』
「理想が前面に出ているから現実がうまくいかない」。そういう批判を受ける試みがある。だが本来、理想と現実は二者択一ではなく両輪を回すものではないだろうか。どちらも生涯追い続け、多くの成果を残した稀代の傑物の評伝である。
https://www.akishobo.com/book/detail.html?id=1109&ct=4

【プロフィール】つじー
サッカーが好きすぎる書評家。北海道コンサドーレ札幌とアダナ・デミルスポルを応援している。自身のnoteに書評やサッカーの話題などを書き、現在コンサドーレの歴史をつづった「ぼくのコンサ史」を執筆中。ラジオ好きで自らポッドキャストも配信している。
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