Jリーグを離れた視点で考える「野々村チェアマン時代の施策」 「一般社団法人から見た」セレッソ大阪のスポーツ事業<3/3>
■サポーター関連の不祥事で学んだ「危機管理の大切さ」
──村山さんがJリーグに移ったのは2011年の4月。JFAからJリーグへの移籍というのは珍しいと思いますが、理由は何だったのでしょうか?
村山 けっこう前から、JFAの上の人に「Jリーグに行かせてほしい」とお願いしていました。Jリーグで各クラブとのネットワークを作って、それからJFAに戻ることが仕事上にプラスになると考えていたからです。そうしたら「3.11」があって……。
──東日本大震災ですね。あの時はJリーグも対応に追われて大変だったと思います。
村山 そうなんですよ。試合が止まってしまって「この話は流れるのかな」と思っていたんですが、4月1日付けでJリーグに出向することになりました。結局、3年目の2013年から完全移籍。その間、責任ある立場を任せていただくことになって、JFAに戻ることは現実的ではなくなりました。試合数もJリーグのほうが圧倒的に多いし。
──Jリーグでの最初の部署は、競技運営部でしたっけ?
村山 そうです。競技運営部のマネージャーで、2年目から部長。3年やらせていただいてから、強化アカデミーが3年、広報部が1年、クラブサポート部が2年、そして最後がクラブライセンスマネージャーで2年。Jリーグには結局、11年お世話になりました。
──Jリーグでの11年のキャリアの中で、特に大変だったり、思い出深かったりする仕事というのは、何だったのでしょうか?
村山 広報とクラブライセンスですね。広報部の部長になったのが2017年だったんですが、けっこうトラブルがあったんですよ。ダービーでナチスを想起させる旗が掲げられたり、ACLでの旭日旗が問題になったり。1年だけでしたけれど、それまであまり気にすることがなかった「危機管理の大切さ」について、徹底的に勉強させていただきました。
──サポーター系の不祥事といえば、2014年の「JAPANESE ONLY」事件が有名でしたけど、その後もいろいろありましたからね。クラブライセンスについては、いかがでしょう?
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