宇都宮徹壱ウェブマガジン

消失するデジタルと読みつがれる書籍 そして一連の「黒田発言」に思うこと

 本題に入る前に、先週からSNS上でくすぶり続けている「黒田発言」について、私なりの考察を備忘録として記しておこうと思う。

 はじめに断っておくと、FC町田ゼルビアと筑波大学による天皇杯2回戦はこちらの試合を取材していたので、ダイジェスト映像しか観ていない。また、町田の黒田剛監督の試合後の会見についても、テキストを読んだだけである。

 さらに言えば、先週末の横浜F・マリノスとのアウェイ戦での「われわれが正義」発言もまた、その後の記事で知った。要するに本件に関して、私は一度も現場にはいなかったので、こちらのポストにとどめておいた次第。ところが、これが思いのほか反響があったので、若干の補足をしておきたい。

 黒田監督の言葉選びについては「余計な一言」ではなく、実のところ緻密な「計算」に基づいたものではないか? 最近、そう考えるようになった。「われわれが正義」のみならず、「マナーが悪い」然り、「足元でチャカチャカ」また然り。そうした言葉がメディアでどう増幅され、サッカーファンにどう受け止められ、SNSでどう炎上してトレンド入りするかまで意識しているのではないか──

 単独インタビューを受けるメディアの選び方からして、黒田監督には自分(たち)の見せ方や見られ方を非常に意識しているように感じていた。そのこと自体、決して目新しいものではない。同監督の特異性は、周囲の反発を自らの力にしてしまっていることにある。一方のメディアも常に数字を求めているので、発火性のある黒田発言を好んで取り上げようとする。

 天皇杯2回戦からつづく一連の炎上劇というものは、結局のところ壮大なマッチポンプだったのではないか? この見立てが正しいなら、《スポーツの現場に求められるのは「正義」ではなく「リスペクト」では?》などという自分のポストが、とてつもなくナイーブなものに思えてしまう。

 対戦相手との適度な煽り合いは、サッカー特有のコミュニケーション手段だ。けれども炎上による誹謗や中傷、さらには分断にまで発展するリスクについては、双方が自覚的であるべきだろう。そうした危険性のある発言に対しては、直情的に反発や賛同するのではなく、背後にある「計算」や「意図」にも目を向ける必要がある。もちろん、メディアも含めて。

 ここから本題。先週のコラムでは「宇都宮徹壱ブックライター塾(#徹壱塾)」の告知に関連して、現時点で考えていることを明らかにした(本日【無料公開】としたので会員外の方もぜひご覧いただきたい)。

【無料公開】1期生募集中! 7/11開講「宇都宮徹壱ブックライター塾(#徹壱塾)」を立ち上げる理由

 新しいことにチャレンジする時、どれだけ年齢を重ねても、期待以上に不安な気持ちでいっぱいになる。個人メディアにしてもオンラインコミュニティにしても、期待するだけの購読者や会員が集まるのか不安は尽きない。今回の「#徹壱塾」については、告知から1週間が経って、ようやく入塾希望のメールが届くようになった。定員の11人まではほど遠いものの、それでもひとまずゼロからイチにすることはできたようだ。

 一方で身近な人から「サッカーファン以外には届いていないのではないか」とか「ブックライターになりたい人の需要ってあるの?」といったご指摘もいただいている。前者については、確かにそのとおり。そこで、私の書籍をお持ちの皆さんに、心からのお願い! もしよろしければ、こちらのnoteFacebookの拡散に、ぜひともご協力ください。

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