宇都宮徹壱ウェブマガジン

あらためて「伊東純也離脱」の是非を精査する 2015年大会との共通点と相違点から見えるもの

 3大会ぶり5回目のアジアカップ制覇を目指した、日本代表のカタールでの挑戦は、準々決勝で潰えることとなった。

 優勝した2011年のアジアカップ、そしてドイツとスペインを撃破した2022年のワールドカップ、いずれもカタールでの開催だった。1993年の「ドーハの悲劇」は、もはや歴史の中の出来事であり、今の日本にとってのカタールはいいイメージしかなかったはずだ。そんな「約束の地」に、史上最強の呼び声高いメンバーで挑みながらのベスト8止まり。この結果を予測できた人は、それほど多くはなかったはずだ。

 日本がアジアカップの準々決勝で敗退するのは、オーストラリアで開催された2015年大会以来のことである。123日、シドニーのスタジアム・オーストラリアで対戦したのはUAE。開始早々に1点ビハインドを負った日本は、81分に柴崎岳のゴールで同点に追いつくも、延長戦でも勝ち越しならず。PK戦はUAE3人目が失敗したのに対し、日本は1人目の本田圭佑が「宇宙開発」、6人目の香川真司もポストに嫌われて万事休すとなった。

 この大会を取材していた私にとり、早すぎる日本の敗退は実に辛いものだった。敗戦そのものもさることながら、地味に辛かったのが、日本代表がいなくなって以降も8日間、現地に滞在し続けなければならなかったこと。せめて準決勝で負けていれば、決勝の前日に3位決定戦を取材できたのだが──。中東での初優勝となった2000年のレバノン大会以降、日本は4大会連続でベスト4以上の成績を残していただけに、この大会での虚脱感と喪失感は9年が経った今でも鮮明だ。

 カタールでの日本代表の敗退を受けて、私が2015年大会のことを思い出したのは、いずれもベスト8で終わったという理由だけではない。今回の日本代表は、伊東純也の「性加害疑惑」という想定外のスキャンダルに見舞われることとなり、それが敗退の一因にもなったとされる。しかし2015年大会では、今回以上の逆風が日本代表に吹き荒れていた。

 当時の日本代表監督、ハビエル・アギーレの「八百長疑惑」問題。こちらの記事にもあるように、結果としてアギーレには無罪判決が出たのだが、疑惑が発覚した201412月時点でのJFAへの風当たりの強さは、今回の比ではなかった。そんな中、メディアや世論からの厳しい批判に対し、身を挺して代表監督を守っていたのが、当時の原博実JFA専務理事だったのである。

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