「なでしこ」を諦めた彼女がピッチに戻るまで 一ノ宮頼子(シンガーソングライター)<2/3>
■ニューヨークでダンスに夢中になって帰国後にCDデビュー
──早稲田では人間科学部で学んでいたそうですが、当時の将来の夢は何だったのでしょうか?
一ノ宮 子供の頃から本が好きだったので、本当は文学部に行きたかったんです。でも落ちちゃって、受かったのが人間科学だったんですよ。大学では心理学を学んで、たとえば音楽療法とかカウンセラーとかできたらいいかなって、漠然と思っていました。
──ところが3年になった1993年、ニューヨークに渡ってダンスの修行をしますよね。これはどういうきっかけだったんでしょうか?
一ノ宮 サッカーを辞めてから、しばらくは大学とバイトと家で読書という生活が続いていたんですね。当時は「もう競技スポーツはやらない」と決めていたんですが、だからといって何かを始めないといけないなと思っていたら、たまたま出会ったのがダンスだったんです。
──確か幼少期の頃、クラッシクバレエをされていたそうですね。
一ノ宮 そうです。それもあってスタジオに通い始めたら、すごく極めたいと考えるようになったんです。じゃあ、ダンスを極めるならどこに行けばいいかと思ったら、ニューヨークだったんですよ。英語の勉強もできるし、これは一石二鳥だなと(笑)。当時、ニューヨークの治安はすごく悪かったんですけど、親には「アメリカでは一番安全なんだよ」とか適当なことを言って、それで単身ニューヨークに旅立ちました。
──どれくらい行ったんですか?
一ノ宮 最初の1年は学生ビザ。でも、ものすごく気に入っちゃって、卒業後もお金が溜まったら向こうでダンスをする生活を5~6年くらい続けていました。
──ということは、就職はしなかったと。
一ノ宮 しませんでした。ダンスに夢中になりすぎて、就職するという発想すらなかったです。バイトは通訳とモデルの仕事。モデルのほうは事務所に所属していて、ハウス食品のグラタンのCMにも出演していましたね。木村佳乃ちゃんのパートナーの浮気相手役で(笑)。
──そうこうするうちに、1999年にソニーの全国オーディションに合格して、シンガーソングライターとなります。ここまでのお話を聞いていると、音楽の話がまったく出てこなかったんですが、これはどういう経緯だったんでしょうか?
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