宇都宮徹壱ウェブマガジン

「なでしこ」を諦めた彼女がピッチに戻るまで 一ノ宮頼子(シンガーソングライター)<1/3>

 ここに1枚の集合写真がある。

 当時の読売サッカークラブ女子・ベレーザ(現:日テレ・東京ヴェルディベレーザ)。撮影されたのは昭和末期の1988年だ。古くから女子サッカーをウォッチしている方なら、まさに奇跡のような1枚に感じられることだろう。後列の右から3番目、ちょうど日の丸の左側に見えるのが、今回ご登場いただく、一ノ宮頼子さん(旧姓:磯野)。当時、15歳である。

 頼子さんとベレーザとの出会いは、この4年前の11歳の時。ベレーザが発足して間もない頃で、まだ下部組織のメニーナがなかった。よって当時のベレーザは、20代の大人と小学生が一緒にプレーするという、今から思えば特殊な環境だったようだ。

 のちの女子ワールドカップとなる、FIFA女子サッカー選手権の第1回中国大会が開催されたのが1991年。女子サッカーが五輪競技となったのは、1996年のアトランタ大会からだ。この集合写真に写っている選手の多くは、のちに女子日本代表として、これらの大会に出場している。おそらく頼子さんにも、ベレーザでのキャリアが続いていれば、そうしたチャンスもあったはずだ。

 しかし彼女は、日本の女子サッカーが世界への挑戦を始める前に、ベレーザを退団している。それから幾星霜、彼女はサッカーから背を向ける道を歩んできた。その後のキャリアは、とにかく目まぐるしい。ニューヨークでダンス修行に打ち込み、帰国後にCDデビューしたかと思ったら、アイスとインラインのホッケーに目覚め、インラインホッケー日本代表に選出されてキャプテンも拝命している。

 そんな彼女の現在の肩書は「シンガーソングライター」。音楽活動を続けながら、外資系IT企業で正社員として働き、最近になってサッカーも再開したそうだ。「なでしこ」にもなれるチャンスがありながら、なぜ彼女はサッカーから離れてしまったのか。そして再びピッチに戻ってくるまでの間に、どんな人生があったのか? さっそく、ご本人に語っていただこう。

 なお、今回のインタビューのきっかけを作っていただいた、WE Love女子サッカーマガジン石井和裕さんには、この場を借りて御礼申し上げたい。(取材日:2023512日@横浜)

【編集部より】掲載した写真は、インタビュー時のものを除いて、すべて一ノ宮頼子さんからご提供いただきました。

「女の子がサッカーなんかやっちゃいけません!」という呪縛

──今日はよろしくお願いします。 Twitter を拝見したら、最近はものすごくアグレッシブにボールを蹴っているみたいですね。

一ノ宮 そうなんですよ。コロナが明けたあたりから、夫と「なにか身体を動かすことがしたいよね」ということで始めました。夫はコスモ四日市でGKをやっていた人なんですが、彼の昔の選抜仲間がいる11人制のチームに誘われて、人生で2回目の選手登録をしました(笑)

──すると今は、男子のチームに所属しているんですか?

一ノ宮 そうなんです。「おっさんリーグ」って呼んでいるんですけど(笑)。「女子なんですが問題ないですか?」と聞いたら、連盟もまったく問題ないということで、普通に公式戦も出ています。シニアリーグなので25分ハーフなんですが。

──ベレーザ時代も、男子の中学生や高校生と対戦することが多かったと思うのですが、その時と比べていかがですか?

一ノ宮 実はベレーザ時代にも、40歳以上のおじさんチームと練習試合をすることがあったんですけど、その時以来ですよね。女子と違って、硬くて重くて痛くて。それでも、本当に面白くてしょうがない。そういえばこの間、試合後に対戦相手の人から「あれ、女性だったの?」って言われてしまって(笑)。その時は髪を後ろに束ねていたんですけど、女性だと思っていなかったようですね。自分でも「走り方が可愛くない」という自覚があります。

──「走り方が可愛くない」というのは、どういう感じなんでしょうか(笑)。

一ノ宮 昔、ヴェルディに元日本代表の武田修宏って、いたじゃないですか。私、武田くんに走り方が似ているって言われていたんですよ。ベレーザの練習が終わった時、ちょうど同じグラウンドで武田くんがランニングしていたんですね。そうしたら、監督だった竹本(一彦)さんに「武田と並んで走ってみろ」って言われて。それで嫌々並んで走っていたら、あまりに似ていたので大笑いされて(笑)。すみません、いきなり脱線してしまって。

──いえいえ、今となっては貴重な証言です。とりわけ頼子さんが女子サッカーを始めた頃は、ベレーザの黎明期ということで、その当時のこともぜひ伺いたいと思っています。まずお聞きしたいのですが、頼子さんからご覧になって、現在の女子サッカーをめぐる状況というのは、恵まれていると思いますか?

一ノ宮 いろいろな意見や見方があると思うんですが、少なくとも私がサッカーを始めた1980年代に比べれば、とても恵まれているように感じます。まず、女子サッカーへの認知度が、当時と今とでは、ぜんぜん違いますよね。私が20歳前に、サッカーを引退しなければならなかった背景にもつながるんですが、当時は「女の子がサッカーなんかやっちゃいけません!」というのが、普通に言われていたんですよ。

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