宇都宮徹壱ウェブマガジン

エルゴラが「紙」から撤退することに寄せて 「電子版で進化する」ことの意味を考察する

『サッカー新聞エル・ゴラッソ(以下、エルゴラ)』が新聞紙面から電子版に完全移行することが発表されたのは、この日曜日のことである。いつか、この日が来ることはわかっていたので、それほどの衝撃はなかった。なかったけれども、じわじわと押し寄せてくる感慨はあった。この「じわじわ」の正体について、自分なりに言語化を試みることにしたい。

 まずは、久々に紙のエルゴラを購入することから始めよう。思えば紙のエルゴラを買ったのは、こちらの記事を書いた時が最後。実に3年ぶりである。自宅の近所のコンビニで1部だけ売っていたのでレジに持っていくと、店員はバーコードがどこにあるのかわからないのか、わざわざ値段を打ち込んでいた。エルゴラに限らず、店で新聞を買う客はレアなのだろう。

 購入したのは月曜日販売だったので、私が取材した日曜日の試合の記事はなし。毎号、読んでいる人には当然なのだろうが、久々に紙で読むと少し不思議な気分になる。紙面を開くと飛び込んでくるのが、躍動感溢れる写真。スマートフォンの情報では、絶対に得られない感覚だ。

 紙面はすべて、試合のレビュー。金曜と土曜に開催されたJ1J28試合のうち7試合である。いかにもエルゴラらしい、多面的なレポートには満足できるのだが、なぜかファジアーノ岡山vsレノファ山口については、レポートどころかスコアもなし。「紙面にない試合は電子版でご確認ください」ということなのだろうか。

 見開きで強烈なイメージを伝える一方で、速報性ではネット(電子版)の補完に頼らざるを得ない。これが、この10年ほどエルゴラが抱えていたジレンマだったと察する。

(残り 1952文字/全文: 2700文字)

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