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長谷部誠は欧州で指導者ライセンスを取得できるか? モラス雅輝が語るUEFAとJFAとのギャップ<2/3>

長谷部誠は欧州で指導者ライセンスを取得できるか? モラス雅輝が語るUEFAとJFAとのギャップ<1/3>

異端の指導者、クリストフ・ダウムに憧れて

──18歳で指導者になる決断をしたモラスさんですが、最も影響を受けたのは、かつてレバークーゼンの黄金時代を築いたクリストフ・ダウムだそうですね。ちょっと懐かしい名前ですが、きっかけは何だったのでしょうか?

モラス かつてドイツでは、現役時代に輝かしい実績がないと監督にはなれないという不文律みたいなものがあったんです。そんな中、反逆児のよう現れたのがダウムでした。彼は膝の怪我などもあってプロにはなれず、アマチュアや育成から指導者のキャリアをスタートさせて、ケルン、シュトゥットガルト、ベシクタシュ、そしてレバークーゼンを率いています。

 僕がダウムの存在を知ったのは、ちょうど高校の寮生活をしていた頃でした。当時はネットもなかったし、部屋のTVも禁止だったんですけれど、広間のTVでレバークーゼンを指揮するダウムを見て、ものすごいカリスマ性を感じたんですね。「プロ経験がなくても監督がやれるんだ!」って思って、それから彼のインタビュー記事を片っ端から読み込みましたね。

──まさに「ダウム・フリーク」になっちゃったんですね。実際に彼と初めて会ったのは、いつだったんでしょうか?

モラス 彼がレバークーゼンを辞める前だったので、1998年から1999年の間だったと思います。ちょうど北ドイツにある島で合宿をするというので見学に行ったんですよ。90年代に日本人がドイツの島まで出かけて、しかもドイツ語で話しかけてくるので、彼も珍しいと思ったんでしょうね。そこでいろいろと話す機会を得ることができました。

 その後、湯浅健二さんがダウムにインタビューする機会があって、Number編集部から現地の手配を頼まれたことがあったんです(参照)。その時もダウムに会う機会がありました。その後、オーストリアの、FKアウストリア・ウィーン監督時代には会見に顔を出していましたし、彼の経営者向けのセミナーにも参加したことがあります。もう追っかけですよね(笑)。

──そうした中、モラスさんが指導者ライセンスを取得したのはいつでしょうか?

モラス 比較的遅くて、2004年くらいから順番に取っていきました。実は指導者ライセンスって、ドイツやオーストリアでは圧倒的に取得が難しいんです。現行のルールだと、UEFAプロライセンスを取るには、UEFAAライセンスを取得した後、少なくとも2年間はAライセンスで指導できる最高位のカテゴリーで監督をして、さらにそこで結果を出さなければならないんです。

──日本のS級ライセンスの場合、監督経験がなくても取得できて、そのままJクラブの監督ができます。UEFAでは、まずは監督経験が絶対条件なんですね?

モラス そうです。ですから、UEFAJFAの間でライセンスの互換性がないのも当然ですよね。ちなみに僕の場合、2009年から2010年まで浦和レッズで働いていたんですけれど、UEFA外での活動は無効なんです。それで2011年にオーストリアに戻ってから、あらためてポイントを獲得する必要がありました。

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