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村井満の「ビフォア・Jリーグチェアマン」 川越のサッカー少年、リクルートへ<2/2>

村井満の「ビフォア・Jリーグチェアマン」 川越のサッカー少年、リクルートへ<1/2>

2/2>目次

*なぜ「バンカラ」サークルに入ったのか

*「中国横断」のために500万円を調達!

*銀行を蹴ってリクルートを志望した理由

なぜ「バンカラ」サークルに入ったのか

──村井さんが早稲田大学に入学した1979年といえば、すでにテニスやスキーのサークルに人気が集まっていた時代だったと思います。村井さんは、どうされたのでしょうか?

村井 最初は、ヨット部に入ることにしました。ずっと海のない埼玉で暮らしてきたので、真剣にヨットに打ち込んだら楽しいだろうと、その時は思ったんですね。

──村井さんがヨットとは意外です。

村井 すぐに辞めていますからね。イメージとぜんぜん違っていました。夏は他大学の女子大生を集めて、ヨットの試乗体験とバーベキュー。そこで集めた資金で、葉山にある合宿所で過ごすんですが、BGMはいつもサザンかオフコースという感じで。

──さぞかしイメージと違っていたことでしょうね(笑)。

村井 私の性格として、まず誰かと群れるのが苦手。流行に乗っかるのも大嫌い。とにかく周りとは違ったベクトルに行きたがる、というのがありました。ということは、よくある大学サークルなんかには、自然と背を向けることになりますよね。

──確かに(苦笑)。それで、どうされたんでしょうか?

村井 いろいろ考えていくうちに、自分の中で「早稲田らしさってなんだろう?」という問いかけが生まれました。皆で群れてテニスやスキーをしたり、他大学の女子とバーベキューや合コンしたりするのが早稲田らしさなのだろうか? そこで、早稲田らしさを体感できるサークルとは何かを考えたんです。最も有名なのが、早稲田大学雄弁会。1902年の設立で、戦後の内閣総理大臣を5人も輩出していることから「政治家の登竜門」とも言われています。

──では、雄弁会でスピーチの技量を上げたと?

村井 いやいや(笑)。当時の私は、人前に立って喋るのが大の苦手だったんですよ。今となっては想像もできないと思いますが。ですから雄弁会は却下。そこで私が入ったのが、早稲田精神昂揚会というサークルでした。一言でいうなら「バンカラ」。学ラン、角帽、高下駄という出立ちで、一升酒を酌み交わしながら天下国家を語るのが大好き、という集団です。

 実はもうひとつ、このサークルが特徴的なのが、とにかくよく歩くこと。たとえば、埼玉県の本庄市から早稲田大学まで、およそ100キロの道のりを延々と歩く100キロハイク、通称「百ハイ」。今でも続いているイベントなんですが、これを主催しているのが早稲田精神昂揚会なんです。私もそのイベントの実行副委員長をやりました。

──精神昂揚会は村井さんにとって、居心地の良い場所だったんでしょうか?

村井 どうでしょうね。バンカラで硬派を旨とする集団でも、やっぱり私は群れるのは嫌だったし、みんなと行動を合わせることにも強く反発していました。ですから、昂揚会の活動でも、学生服ではなくTシャツを着ていることもありましたし、今の家内と普通にデートしていました。昂揚会では「女子と付き合うなんて、男子の風上にも置けない」みたいな雰囲気があったんですが、私はそれに臆することなくデートしていました。相当な異端だったと思います(笑)。

──そんな昂揚会に、なぜわざわざ入ったのでしょうか?

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