「批評性」が失われることの重大な意味 フットボール批評の休刊発表に思うこと
先週の月曜日、株式会社カンゼンが、第39号をもってフットボール批評を休刊することを発表した(参照)。
発表の中で同社は《日本サッカーを取り巻く環境は大きく変化》する中、《ジュニア年代からJリーグまで、技術面、戦術面ともに進化を遂げ》た結果、《2022年に行われたカタール・ワールドカップではドイツ、スペインに勝利する歴史的な快挙に繋がった》としながらも、休刊を決断した理由について、このように説明している。
主要な情報をタイムリーに得るための手段であったネットメディアの淘汰、成熟に伴って、サッカーにまつわる多くの情報を紙媒体ではなく、SNSやWEBサイトで得るようになってきました。
本誌も時代に合わせ、様々なテーマに取り組みながら、その中でも本誌でしか得られない深堀りした記事や取材から得た情報などを掲載してきました。
継続か、休刊か、社内でも幾度となく議論をしてまいりましたが、雑誌としての役割を終えたという結論となったため、39号をもって休刊とすることにしました。
今回の休刊という決断については、いち書き手としていろいろ思うところはあるものの、決断そのものは尊重したい。その上で、これまでお世話になった関係者の皆さんには、長きにわたり発表の場を与えていただいたことに、心からの感謝を申し上げる次第だ。
そもそもJFLや地域リーグといった、ハフカテ(ハーフウェイカテゴリー)のクラブについて、きちんとページを与えてくれるメディアは、フットボール批評をおいて他になかった。
2017年のサッカー本大賞を受賞した『サッカーおくのほそ道』、その3年後に上梓した『フットボール風土記』。取り上げたクラブのルポルタージュは、その多くが同誌を初出としている。ちょうどハフカテが面白くなってきたタイミングで、取材と発表の機会を与えていただいたのは、幸運以外の何ものでもなかった。ありがとう、フットボール批評!
と、感謝の念を表明した上で、ここからは少しシビアな話をせざるを得ない。馴染みのある雑誌が休刊となる時、書き手にとっての「残念」には2つの意味があると思っている。ひとつは、自身の発表の場がひとつ失われる、という意味での残念。もうひとつは、雑誌が持っていた価値や存在意義が失われる、という意味での残念。フットボール批評の休刊について、私の場合は圧倒的に後者だった。
以下、その理由を述べる。
(残り 2014文字/全文: 3000文字)
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