日本サッカーの「新しい景色」とは何だったのか? レジー(『日本代表とMr.Children』著者)<1/2>
2023年最初のインタビュー記事。テーマは「日本代表」である。
「え、今さら?」と思われるかもしれない。けれども、そこは当WM。どのメディアとも異なる切り口から、カタール大会の日本代表を振り返ってみる。視点は大きく2つ。歴史的な視点、そしてファンカルチャーとしての視点である。
今回、ご登場いただくのは、音楽ブロガーでライターのレジーさん。近著『ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち』が話題のレジーさんだが、実は日本代表に関する書籍もある。それが『日本代表とMr.Children(以下、ミスチル)』である。
本書は1993年の「ドーハの悲劇」から、2018年の「ロストフの14秒」までの日本代表の歴史を、ミスチルの軌跡と重ねながら描くという野心作。発売されたのは5年前だが、カタールに向かう機内で一気読みしてしまった。そして大会後、ぜひレジーさんと本書のつづきを語り合いたいと切望した次第である。
カタール後の日本代表は、一見すると順風満帆が続いているように見える。ベスト8進出という「新しい景色」は実現できなかったものの、久々に日本代表に国民的な注目が集まり、代表選手のメディア露出も倍増。森保一監督の契約延長も年内中に決まり、2026年のワールドカップに向けた体制づくりも進んでいるようだ。しかし、一方で「本当にこのままでいいの?」と考える層も、一定数存在する。それは主に、日本代表を長年にわたりに応援し続けてきたコア層だ。
レジーさんとの対話の中で、2つの重要な指摘があった。ひとつは「日本代表を4年に一度のスポットで楽しむ人が増えている」こと。そして「4年前のロシア大会でファンダム(熱狂的なファン集団)の循環が途切れてしまった」ことである。これらを踏まえるならば、現在の日本代表をめぐる熱量が4年後まで持続すると考えるのは、かなり楽観にすぎるように思えてならない。
今回のインタビューのきっかけとなった『日本代表とミスチル』は、平成時代の日本代表について、歴史とファンカルチャーという2軸から考察を試みている。5年前の作品とは思えないくらい、実に新鮮な読後感。未読の方は、この機会にぜひ手に取っていただきたい。むしろ、カタール大会が終わった今だからこそ、ファン必読の書と言えるだろう。(取材日:2022年12月19日@東京)
<1/2>目次
*ミスチルのコンサートにザッケローニがいた理由
*代表離れは「仕事や生活が忙しくなったから」?
*長谷部誠と吉田麻也の「言葉の使い方」の違い
■ミスチルのコンサートにザッケローニがいた理由
──本日、レジーさんと日本代表について語れることを、とてもうれしく思います。本題に入る前に、本書『日本代表とミスチル』が出来上がった経緯から教えていただけますでしょうか?
レジー これは2018年11月に出た本なんですけど、本の企画が立ち上がったのはロシア大会が終わった直後ですね。映画・音楽ジャーナリストの宇野維正さんとの共著で、あの人は映画や音楽だけではなくてサッカーも大好き。インテリスタでもあるんですよね。
──宇野さんが「サッカーをバイブルにしたライフスタイルマガジン」『STAR soccer』に関わっていたというのは、この本を読んで初めて知りました。
レジー あの雑誌を立ち上げたのが鹿野淳さん(元ROCKIN’ON JAPAN編集長)なので、人的なつながりもあったのかなと。そうやっていろいろな形で音楽やサッカーに関わってきた宇野さんと、「ロシア大会の日本代表はミスチルに支えられていた」なんて話を与太話的にTwitter上でやりとりしていたら、それをfootballistaの浅野(賀一)編集長が見つけてくれて。
──さすがは浅野さん、目ざといですね(笑)! 確認ですけど、いわゆる「ミスチル世代」というのは、どれくらいの年代を指すのでしょうか?
レジー あくまで大まかな区分けですが、ミスチルがヒット曲を連発していた時代と思春期が重なっている1980年代生まれを指しています。ミスチルがブレイクしたのが1993年から94年くらい。僕は1981年生まれで、ちょうど中学生になるタイミング、つまりは自意識みたいなものが目覚める時期でした。
その時にミスチルの楽曲を浴びるように聴いて、そのメロディや歌詞の内容が刷り込まれているんですけど、そういう人はかなりたくさんいるはずなんですよね。そしてそれは、サッカー選手も例外ではないはずです。日本代表だと、アテネ世代から北京世代くらいが該当するかと思いますが、ロシアでのワールドカップのチームに引きつけると、当時のチームを牽引していた80年代半ばから後半生まれの面々が、まさに「ミスチル世代」と呼べると思っています。
──アテネ世代は阿部勇樹や松井大輔や大久保嘉人、北京世代は本田圭佑や岡崎慎司や香川真司。1981年から89年生まれですね。長谷部誠は84年生まれですから、まさにドンピシャです。私自身は世代がぜんぜん上ですから、意識してミスチルを聴いてはいなかったですけれど、今回YouTubeで確認したら、一度は耳にした曲ばかりで(笑)。
レジー 当時は本当に日本中で流れていましたからね。この感覚は、僕よりもあとの世代だと伝わりづらいかなと思います。今でさえ、ミスチルの音楽を先鋭的と言う人は少ないと思いますが、彼らが登場した時はけっこうセンセーショナルでした。ビートルズ的なバンドサウンドと日本人好みのキャッチーなメロディの組み合わせは、ありそうでなかったものだったんですよね。
『CROSS ROAD』や『innocent world』のヒットは、日本の音楽シーンの中心が「歌謡曲」から「J-POP」に移っていくのを加速させたとも言えます。カッコいいミュージシャンがTVに出る、CDが売れる、それを皆がカラオケで歌う、という形で音楽がどんどん娯楽の王様になっていく。そうした流れを呼び込んだ、きっかけのひとつがミスチルのブレイクでした。
──なるほど。ミスチルがガンガンかかっていた時代、多感な時代を送っていた選手たちからすれば、そこからインスパイアされることもあったでしょうね。
レジー この本でも触れたんですが、アテネ五輪の最終予選の時、日本代表のロッカールームにあったボードに『終わりなき旅』の歌詞が書かれていたというエピソードがあります。
──あまり長く引用はできませんが「高ければ高い壁のほうが~」でしたっけ?
レジー そうです。「登った時気持ちいいもんな」という歌詞ですね。「自分に勝つ」というような読み替えもできるメッセージが、多くのサッカー選手の精神的な支えになっていきました。ちなみにこの曲は、サッカー選手に限らずアスリート全般に好まれている傾向がありますね。一方でボーカルの桜井和寿もまた、ワールドカップ・フランス大会で10番を付けていた名波浩との交流から、サッカーに夢中になっていきました。
──なるほど。本書の帯に《ミスチルに支えられた日本代表/サッカーに救われた桜井和寿》とありましたが、まさに両者が互いを必要としていた時代があったわけですね?
レジー それを補強する有名な話があって、日本代表監督時代のアルベルト・ザッケローニが、ミスチルのライブで目撃されているんですよ。それは彼がファンだからではなく、選手たちのことを理解するために、わざわざミスチルのライブに行ったそうなんですね。
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