宇都宮徹壱ウェブマガジン

この国の「サッカー文化」について考える 森保「続投」への違和感と新年の決意表明

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 年が改まって最初のコラムということで、本来であれば今年の抱負とか方針とかを明らかにすべきであろう。それはのちほど言及するのだが、今年は苦言めいた書き出しをしなければならない。暮れも押し迫った12月28日、森保一監督が引き続き日本代表を率いることが発表された。私は会見の様子をYouTubeで見ていたのだが、次第に度し難い違和感を抑えきれなくなっていた。

 違和感の向かう先は、森保監督の再任そのものではない。会見の間、何度も「続投」という言葉が出てきたことだ。質問するメディアも、それに答える森保監督も、さらには同席したJFAの田嶋幸三会長までもが(おそらく無自覚に)「続投」という野球用語を使っていることに、何とも絶望的な気分に陥ってしまった。

 誤解していただきたくないのだが、私は「野球用語」そのものを否定しているのではないし、言葉狩りをしたいのでもない。それでも、事はサッカーの日本代表監督の人事である。ここは野球用語に頼るのではなく、素直に「契約延長」と表現すべきだったと強く思う。

 今から30年前にJリーグが誕生した際、日本サッカー界は野球用語との差別化に地道に取り組んでいた。球団ではなく「クラブ」。フランチャイズでなく「ホームタウン」。コミッショナーではなく「チェアマン」。とりわけ、のちにJFA会長となる岡野俊一郎さん(故人)は、この件で大いに尽力されたと聞いている。

 また(2004年だったと記憶するが)、JFAが記者やライターを集めて「なるべくサッカー用語を使ってください」という内容のブリーフィングが行われたことがある。一例を挙げると「黒星」とか「大金星」といった表現は相撲用語なので、見出しにはサッカーにふさわしい用語を使ってほしい、とか。そんな感じで、当時の広報部長が明確に要望していたこともあった。

 われわれ日本のサッカーの書き手は、つい「続投」とか「黒星」という表現に頼ってしまうことがある。それはすなわち、この国に野球文化や相撲文化が染み付いているからだ。逆に言えば、サッカーは野球や相撲に比べて、まだまだ文化として浸透しているとは言い難い。残念ではあるけれど、まずはその事実を謙虚に認めなければならない。

 ゲームモデルとかゲーゲンプレスとかストーミングとか、サッカーの世界の言葉は常にアップデートされている。それらをきちんと理解し、伝えることはもちろん大切。しかし同時に、足元にある言葉についても、努めて丁寧であるべきだ。野球や相撲の言葉に逃げるのではなく、きちんとサッカーの言葉で伝えていく。そうした積み重ねが、この国に「サッカー文化」が根付くことにつながっていく一助となる。新年を迎えるにあたり、そう考える次第だ。

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