宇都宮徹壱ウェブマガジン

だから私のワールドカップは、今大会で終わり 7大会目の取材を終えて、あらためて思うこと

 2022年も残りわずかとなった。本稿は今年最後のコラムとなる。

 われわれの業界の師走といえば、やはり天皇杯と共にあった。クリスマス前に準決勝、そして元日に決勝。2020年はコロナの影響で12月に4試合が組まれたが、年の瀬の切迫感と大会のテンションの高まりがシンクロして、今にして思えば非常に充実した取材の日々だった(参照)。あの時と比べると、今年の師走は何と味気ないことか。

 周知のとおり、今年の天皇杯は10月で終わってしまった。決勝が行われた16日は、全社とバッティングしてしまったため、17年間続けてきた晴れがましい舞台での取材を断念。2005年から続けてきた、地域CLの決勝ラウンドについても、遠くカタールの地で結果を知ることとなった。そう、ワールドカップの開催が11月にずれ込んだおかげで、毎年楽しみにしていた国内サッカー取材は、大幅な変更を余儀なくされることとなったのである。

 確かにワールドカップは、私にとって重要な取材対象であった。そして、天皇杯や地域CLもまた然り。だから今年は、その片方を諦めるほかなかったことが、本当に残念でならない。日本代表がカタールの地で、ドイツやスペインを撃破した瞬間に立ち会えたのは、間違いなく得難い経験となった。だからこそ、これをひとつの区切りにすることができて、本当に良かった。負け惜しみではなく、今でも心からそう思っている。

 私が初めてワールドカップを取材したのは、1998年のフランス大会。そう、日本が初めてアジアの壁を突破し、世界の檜舞台にたどり着いたもののの、GS(グループステージ)3戦全敗で世界の壁を痛感した大会であった。この大会での私は、まだAD(アクレディテーション)カードを貰える身分ではなく、チケットを買ってスタジアムで観戦したのはわずか2試合であった。

 にもかかわらず、私は開幕戦の前日から決勝の翌日まで、旅の仲間たちと行動を共にしながらフランスに滞在し続けた。私のメインの目的は、この大会から32カ国となった出場国、すべてのサポーターを撮影すること。そして、その具体的なイメージを、4年後に彼らを迎え入れる日本の人々に伝えることであった。この時の取材は、翌1999年に『サポーター新世紀』で結実する。

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