いま明かされるJリーグ「統合プロジェクト」の真相 シリーズ「Jリーグ現代史」米田惠美の場合<2/2>
■村井チェアマン時代の総決算だった「統合プロジェクト」
中西辞任の報を受けて、すぐさま米田も動く。彼女は村井に対し、このようなメッセージを送っていた。
「組織全体に深い反省が必要ですが、それを一番に感じるべきはチェアマンではないでしょうか。⾃分たちのやり⽅、あり⽅に問題がなかったのか、もう⼀度考えていただけませんか?」
米田には、組織開発のプロフェッショナルとして、絶対に譲れないものがあった。それは「内省なき組織とは付き合えない」というもの。本当に自分たちから変わりたいと思えない限り、どんな組織から依頼されても仕事は受けないことにしていた。
村井が推し進めてきたJリーグのホールディングス化は、確かにスピーディな組織運営をもたらした。しかし社外フェローによる4日間のデューデリだけで、組織としてのJリーグにはさまざまな問題があることが明らかになった。そして追い打ちをかけるように、常務理事のセクハラ・パワハラが発覚。Jリーグの社会的イメージは、著しく毀損されることとなった。
米田から『Jリーグ12の問い』が提出され、中西が辞任することとなった6月27日は、Jリーグにとって大きな起点となった。ここから、法人のみならず人心もひとつにする「統合プロジェクト」が、村井の肝いりでスタートする。
その第1回ミーティングが行われたのが7月3日。第2回は18日、第3回は25日。1カ月の間に3回も行われていることに、村井の並々ならぬ本気度が感じられる。
ミーティングに招集されたのは、理事、本部長、部長クラスの18人。第1回では『Jリーグ12の問い』についてのグループワークと、それぞれが普段感じている組織課題についてのディスカッションが行われた。続く第2回では、統合プロジェクトのルールが策定されている。もっとも参加者全員が、プロジェクトの必要性を理解しているわけではなかった──。
少なくとも米田は、そのように感じていた。
「本部長や部長の人たちからすれば『なんで外から来た人間に、こんなにダメ出しされなければならないんだ?』みたいな感じだったと思います。しかも第1回のミーティングでは、これまでの自分のマネジメントについて、それぞれ反省の弁を述べなければなりませんでした。村井さんが『われわれは自らを省みなければならない』というスタンスだったので、いちおう反省している空気にはなっていたんです。それでも、内心で顔をしかめていた人も、ひとりやふたりではなかったと思います」
日本のスポーツ興行団体の中では、最も洗練されているようで、実のところJリーグにも体育会系の気質は皆無ではなかった。自分よりも若い女性からの苦言に「内心で顔をしかめていた」という表現は、決して米田の思い過ごしではなかっただろう。
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