宇都宮徹壱ウェブマガジン

いま明かされるJリーグ「統合プロジェクト」の真相 シリーズ「Jリーグ現代史」米田惠美の場合<1/2>

 8月からスタートした月イチの徹ルポ、シリーズ「Jリーグ現代史」の第4回。前回の原博実さんにつづいて、今回は元Jリーグ常勤理事の米田惠美さんに登場していただく。彼女への取材を切望したのは、かねてより私自身の中でくすぶっていた、2つの疑問があったからだ。

 米田さんが常勤理事に就任したのは、村井満前チェアマンの3期目がスタートした2018年。当時34歳という、異例の若さであった。しかも彼女の本職は公認会計士。それまでサッカーとは、ほとんど無縁の人生を送ってきた。そんな彼女を村井チェアマンが理事に抜擢したのには、果たしてどのような背景があったのか。これが第1の疑問。

 先進的なイメージが強いJリーグでも、若い女性でサッカーの門外漢である米田さんを理事に迎えることに、全員が好意的ではなかったことは容易に想像がつく。ご自身も、さまざまなハレーションが起こることは十分に想定できたはず。にもかかわらず、なぜ米田さんは、Jリーグ常勤理事という大役を引き受ける決断をしたのだろうか。これが第2の疑問。

 この2つの疑問を解きほぐしていくと、彼女が理事に就任する前年、Jリーグが抱えていた構造的な課題が自ずと見えてくる。DAZN元年で沸き立つ2017年のJリーグは、傍目には見えにくい課題を抱えていた。まさにそのタイミングで、社外フェローとして招かれていた米田さん。まずは当時の状況から振り返ってもらうことにしよう。

『フォーブス・ジャパン』の表紙を飾った元Jリーグ理事

「うわあ、懐かしいですねえ!」

 持参した経済誌『フォーブス・ジャパン』のバックナンバーを手渡すと、元Jリーグ常勤理事の米田惠美は、パッと明るい声を挙げた。そのカバーを飾っているのは、さながらミューズのように撮影された、米田本人である。

 彼女が手にしているのは、2019年5月号。《「Jリーグを使い倒せ!」/地域を変える「もう一つの熱狂」》というタイトルで、彼女のカバーストーリーが、かなり目立つポジションで特集されていた。

 この号が出た時のインパクトは、今でもよく覚えている。当時は理事に就任して2年目の35歳。米田はJリーグという組織の枠を超えて、スポーツビジネス界における若きイノベーターとして注目されていた。その一方で、心の中で舌打ちしていた関係者も少なからずいたはずだ。

「Jリーグ理事時代は、私の人格に非常に大きな影響を与えた2年間でした。しんどいことのほうが多かったんですけれど、そのおかげで他者への優しさとか苦しみの共有とか、そういったものも身につけることができました。もちろん、当時の村井さんにも今のJリーグにも、言いたいことはいっぱいあります(笑)。それでも総じて、この体験をさせていただいたことについて、心から感謝しています」

「当時の村井さんにも今のJリーグにも、言いたいことはいっぱいあります(笑)」──この一言に、彼女の内に秘められた本音が感じられた。

 米田は1984年に東京で生まれた。高校時代から「社会をデザインすること」に興味を覚え、慶應義塾大学在学中の20歳に公認会計士の資格を取得(当時最年少)。大学に通いながら、EY新日本有限責任監査法人で監査業務に携わり、会計事務所勤務を経て2013年に独立している。

 極めて優秀な人材であることは間違いない。が、ここまでのキャリアからは、フットボールやスポーツの匂いはまったく感じられない。彼女がJリーグと接点を持つきっかけとなったのは、組織改革や人材育成を専門とするコンサルタント会社『知惠屋』の副社長となってからである(Jリーグの理事就任時で退職)。

「そこの社長が、リクルート時代に村井さんの部下だったんです。村井さんには、知惠屋主催の講演会でお話いただいたり、一緒に飲んだりしている間に親しくなっていきました」

 2017年が明けて間もない1月9日、東京・神楽坂の居酒屋に3人で集まった際、村井からこんな相談を持ちかけられる。

「今度、SHC(スポーツ・ヒューマンキャピタル)で自分の人生を語る機会があるんだけど、それを書き起こしてくれる人を探しているんだよね。内容をきちんと残しておきたいんだけど、私の内面をすべてさらけ出すので、外部ライターにお願いするのはちょっと怖い。できれば気心が知れた人に、お願いしたいんだよ」

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