宇都宮徹壱ウェブマガジン

常に「10年後」をイメージさせてくれた偉大な先達 小田嶋隆さんの死去にひとりの書き手として思うこと

 コラムニストの小田嶋隆さんが6月24日に亡くなられた。享年65歳。今年5月1日のイビチャ・オシムさんに続いて、個人的にショッキングな訃報であった。名のある方々による追悼文が並ぶ中、それらの邪魔にならぬよう、うんと自分に寄せた「追悼文もどき」を以下、書かせていただく。

 最も多感な時代(私で言えば1980年代から90年代)に影響を与えた人たちは、その多くが自分よりもはるかに上の世代である。いつの間にか名前を聞かなくなって、しばらく忘れかけていたら、突然の訃報によって猛烈な喪失感を覚える。そんなことが、ここ10年ほど続いていた。しかし小田嶋さんは1956年生まれで、私とは10歳しか違わない。であるからして、密かに覚悟していたオシムさんの訃報とは、まったく違った意味での衝撃であった。

 小田嶋さんと直接お会いしたのは、2013年に開催したこちらのイベントで、打ち合わせを加えた2回のみ(もう9年も経ったことに唖然とする)。そのきっかけとなったのが、2011年に発売された文庫版『フットボールの犬』で、小田嶋さんに解説を書いていただいたことだ。以下、引用。

 この紀行文(だよね?)を掲載していた「サッカークリック」は、1999年当時の日本のインターネット環境の中では、貴重なサッカー専門サイトだった。その中でも「フットボールの犬」は、出色の連載で、私は毎回楽しみに読んでいた。(中略)実際、無駄話や寄り道が多い連載ではあった。が、インターネット黎明期の一無料サイト巡回者であった私の目には、その寄り道の部分がとても魅力的に映ったのである。

  尊敬する書き手の方に解説を書いていただいただけでなく、私の最初の連載(ただし当時のタイトルは「フットボールの犬」ではなく「モノクロームの冒険」)の読者でもあったことに、深い感動を覚えたものである。結局のところ、私と小田嶋さんの接点は、一期一会のイベントと文庫の解説のみ。Twitterでは相互フォローしていたので、お互いの近況は何となく視界に入っていたし、私が書いたものを時々は小田嶋さんも読んでくださっていただろう(私は日経ビジネスの小田嶋さんの連載を必ずチェックしていた)。

 小田嶋さんはサッカーに関するコラムも(最近は少なくなっていたが)よく書いていたし、それらをまとめた書籍も出版されている。が、厳密な意味での「同業者」とは言い難かった。それでも私は間違いなく、この人から多くの影響を受けている。それは単に、文体や着眼点といった表層的な部分ではなく、もっと深い部分での話だ。いささか大げさな言い方をするならば「書き手としての生き方」と言ってよい。

(残り 1646文字/全文: 2738文字)

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