宇都宮徹壱ウェブマガジン

世界を敵に回してしまったロシアだけど 4年前に出会ったボランティアの思い出

 私が初めてウクライナとロシアを訪れたのは、20世紀最後の年となる2000年のこと。この年の5月、ウラジミール・プーチンがロシア大統領に就任している(まさか、それから22年にわたり権力の座にとどまり続けるとは思わなかったが)。

 ワルシャワからキエフ、そしてモスクワまでは鉄道移動。およそ快適とは言い難いものの、たっぷり旅情を味わうことができた。そして、当時のウクライナやロシアの印象といえば、まさに「警察国家」。明らかな外国人とわかる私は、官憲とすれ違うたびに横柄に呼び止められ、パスポートをしげしげと検められたことを思い出す。

 ウクライナを最後に訪れたのは2005年だが(2012年のユーロに行かなかったのが今でも悔やまれる)、ロシアについては2009年に再訪。さらにコンフェデレーションズカップが行われた2017年、そしてワールドカップイヤーの2018年にも訪れている。2000年当時、まだまだ経済混乱が続いていて土埃の目立つモスクワの風景が、10年も経たずに豊かで垢抜けていくさまには驚かされたものだ。

 さて、今回のロシア軍によるウクライナ侵攻が、これまでの戦争と大きくことなるのは「熱狂がない」ことだと思っている。われわれが知っている戦争では、それぞれの陣営が自らの正義を信じて疑わず、憎き相手を叩きのめすことに熱狂してきた。ところが今回は、国土が蹂躙されたことへの怒りが国民を結束させているウクライナに対し、ロシア側からは戦争特有の熱量が感じられない。極めて非対称な対立と言える。

 なぜ非対称なのか? それは言うまでもなく、戦争をしたがっているのはプーチンとその取り巻きだけだからだ。もともと政権内でも(さらには軍関係者の間でも)、ウクライナ侵攻には疑問の声は挙がっていたという。市井のロシアの人々であれば、なおさらであろう。祖国が起こした戦争に大義を感じ、ウクライナ侵攻に熱狂するロシア国民の姿は、TVでもネットでもほとんどお目にかかることはない。

 私はウクライナの人々のみならず、ロシアの人々、とりわけ若者たちのことを案じている。なぜなら彼ら彼女らは「ロシア人である」という理由だけで、国のトップが引き起こした愚行の代償を将来にわたって支払い続けなければならないからだ。それは単に経済制裁や、国際交流の制限による影響だけにとどまらない。このウクライナ侵攻がどのような結果に終わっても、ロシアの若者たちは国民的な「戦争犯罪」の汚名を背負うことになる。かつて、ドイツや日本やセルビアの若者たちが、そうであったように。

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