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【無料公開】今こそ振り返ろう。Jリーグでの10シーズン クラブ社長が語る「J2年代記」松本山雅FCの場合<2/2>

8年間続いた反町政権の是非をめぐって

 2018年のJ2は、最終節まで優勝と自動昇格クラブが決まらないという、かつてない混戦状態となった。第41節までの順位は、1位が山雅、2位が大分、3位が町田、そして4位が横浜FC。上位4クラブのうち、最終節に勝利したのは横浜FCのみで、上位3クラブはいずれもドロー。結果、山雅のJ2初優勝と、4シーズンぶりのJ1昇格が決まった。

「14年の時は、すんなり決まったので、あまり(昇格の)実感がなかった感じ。新潟と湘南(ベルマーレ)の昇格は、両方とも最後の試合で決まったんだよ。あの時の緊張感は、今季は経験したくないというのが正直なところだね(苦笑)」

 優勝を決める2カ月前のインタビューで、過去の昇格と比較しながら、反町はそんなことを語っていた。上位4チームに優勝の可能性があり、3位以下となれば厳しいプレーオフが待ち受けている。経験豊富な名将も、18年の最終節は、これまでにない緊張感を強いられることとなった。それゆえであろう。試合後に選手たちに囲まれながら、破顔一笑で優勝シャーレを掲げる反町の姿は、実に印象深いものに感じられた。

「14年との比較でいえば、『自分たちの力で勝ち取った』という意識を持つことができましたね。優勝という結果についても、ソリさんが残ってくれたからこそ、達成できた快挙だったと思っています。もちろん、2度目のJ1ですから『来季はさらにもう一皮むけないといけない』という思いも強くありました」

 そんな神田の思いとは裏腹に、2度目の挑戦もJ1定着とはならなかった山雅。2019年は、クラブ史上初となる前田大然のA代表選出という吉報はあったが、肝心のリーグ戦ではまったく振るわなかった。第14節から10試合も勝利から見放され、第22節以降は降格圏内の17位に定着。そして第33節で、自動降格となる17位以下が決定する。この試合後、反町は「自分の力足らずだった。現場が責任を取るのは当然。長くいる弊害もある」とコメント。この言葉を、社長である神田は、どう受け止めたのであろうか。

「ソリさんの後任については、外部から招聘するよりも、コーチから監督に昇格させたいという議論は、以前からありました。柴田(峡)さん、田坂さん、石丸(清隆)さん、いろいろな名前が挙がりました。でも、あまりにもソリさんが優秀で、偉大すぎました。ソリさん以上に、期待が持てる後継者というものが、なかなか見いだせませんでしたね」

 山雅での最後の采配となった、19年12月7日のアルウィンでの最終節を現地で取材した。奇しくも相手は、反町の古巣である湘南。結果は11に終わった。試合後のセレモニーでは「J1にいなければ、わからないことがたくさんあります。みなさんも感じたと思います」とスピーチ。最後に「それを糧に、これから頑張っていただきたいと思います」と結んだ。この「頑張っていただきたい」という微妙な語尾に、誰もが「ソリさんとの別れ」を感じ取ったことだろう。

「反町体制というものを、長く引っ張り過ぎたことによる閉塞感が、あの順位になったのではないか。そう感じざるを得ない1年だったように思います。思えばずっと、ソリさんには『おんぶにだっこ』の状態が続いていました。でも、やっぱりそれではいけない。クラブとして、さらに成長していくという意思表示が、ソリさんの『卒業』でした。お互いに同意した上で、そうした決断に至りました」

 神田によれば、反町の辞任会見は「お互いある種、清々しい気持ちで臨めました」とのこと。クラブ社長としては、常に一定以上の結果を残してくれる指揮官には、いつまでも留まってほしい。さりとて、クラブのさらなる成長を考えるなら「このままでいいのだろうか?」というジレンマも当然ある。そしてそのジレンマは、当の指揮官自身もまた抱えていた。だからこその「清々しい気持ち」だったのだろう。

 山雅がJクラブとなった2012年、松本にやってきた神田と反町。それから8シーズンの間に、J1昇格を2度も果たしたことの意義は計り知れない。しかしながらフットボールの世界は、浮世以上に新陳代謝のスピードが急だ。8年という期間は、この体制が維持できる、まさにギリギリのタイミングだったとも言える。その後、反町はJFAの技術委員長として辣腕を振るい、神田は「ポスト反町」に向けた模索を続けることとなる。

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