モンゴル代表監督就任が「楽しみでしかない!」理由 「オシムの一番弟子」間瀬秀一が語るアジアでの挑戦
4週にわたってお届けしてきた、写真集『47都道府県のフットボールがある風景』(仮)に掲載予定のコラム。本当はあと1本残っているのだが、ブラウブリッツ秋田の前監督で、私が「オシムの一番弟子」と命名した間瀬秀一さんが、何とモンゴル代表監督に就任することが発表された(参照)。急きょ、ご本人に連絡をとり、発表翌日の4月9日にインタビューを実施。まずは、こちらの動画をご覧いただきたい。
間瀬さんは1973年生まれで、三重県四日市市出身。日本大育大学卒業後、アメリカ、メキシコ、グアテマラ、エルサルバドル、クロアチアでプレーして2002年に現役引退。その間に英語、スペイン語、クロアチア語をマスターし、03年からはジェフユナイテッド市原(現千葉)の監督に就任したイビチャ・オシムの通訳スタッフとなる。その後は複数のJクラブでコーチを歴任したのち、14年にS級ライセンスを取得。以後、秋田で2回指揮を執り、その間に愛媛FCの監督も務めている(17年~18年5月)。
本題に入る前に、千葉と秋田の古巣対決の話から語っていただくことにしよう。3月14日にフクアリで行われた試合は、アウェーの秋田が2−0で勝利している。
歩いてここに来た。
ジェフ千葉対ブラウブリッツ秋田。
ジェフは私がJでのキャリアを
スタートしたクラブ。ブラウブリッツは私が監督キャリアをスタートしたクラブ。
座席に座って改めて思った。
「見せる側」と「見る側」今日は自分が「見る側」
スマホケースは黄色。。
財布は青。。 pic.twitter.com/K7LZtzwiy1— 間瀬秀一/ShuichiMASE (@ShuichiMASE) March 14, 2021
「言うまでもなくジェフは、僕がスタッフとして初めて仕事をさせていただいたクラブです。J2に降格した2009シーズンは、前半はスカウトとして、後半はアシスタントコーチとして現場に関わっていました。一方の秋田は、僕が監督として初めて指揮を執った思い出のクラブです。僕の認識では、ジェフは限りなくJ1に近いクラブで、秋田は去年までJ3だったクラブ。自分にとって思い入れの強い両クラブが、J2という舞台で対戦するというのは、本当に感慨深かったですね」
2019年で秋田との契約を満了後、間瀬さんは昨年6月に愛知県のワイヴァンFCに「ポリバレントコーチ」として迎えられる。このクラブのユニークな指導スタイルについては、以前こちらにも書いたとおり。トップチームは今季、東海2部に昇格しているが、特徴的なのは育成年代が充実していること。間瀬さんいわく「一番下は幼稚園児で、ジュニア、ジュニアユース、ユースがなくてU-22まで」すべてのカテゴリーをまんべんなく指導する機会を得ることができた。
「育成年代もプロも、実はやることは変わらないんですよね。止める、蹴る、走る。とりわけ走ることについては、育成年代のうちからより身体の重心を意識した有効な走り方というのが大切だと思っています。実際、GPSを付けてデータを収集することで、たくさんの気づきを得ることができました。さまざまな年代への指導に加えて、海外レベルの選手たちの走りについても、研究する時間を与えられました。ワイヴァンで得られた学びは、次の自分の仕事にも絶対に活用できると思います」
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