ヴェルディ君の「勇退」になぜモヤってしまうのか? マスコットに「数字」や「結果」を求めることへの疑義
本題に入る前に、まずは残念なお知らせから。
2018年から3回にわたって開催してきた、宇都宮徹壱WM主催の『Jリーグのマスコットを語り尽くす』イベントを、来年は開催しないことにした。大きな理由としては、やはりコロナの感染リスク。当初はリモートでの開催も検討したし、マスコット写真大賞のみ実施することも考えた。しかしながらコロナ以外にも、最近は私自身がマスコットとの向き合い方に迷いが生じることが何度かあり、とりあえず次回は開催しないほうが賢明であると決断した次第。楽しみにしていた皆さんには、謹んでお詫び申し上げたい。
さて、本題。今回は久々にマスコットについて語るわけだが、タイトルからお察しのとおり、決して愉快な話ではないことを最初にお断りしておく。とりわけ東京ヴェルディのファン・サポーター、あるいはマスコット好きな方々の中にも、気分を害される方が出てくるかもしれない。なぜなら本稿は、マスコット好きにとって極めてデリケートな部分についても言及しているからだ。それでも、絶対にスルーすべきでないと覚悟を決め、あえてこの話題に踏み込むことにする。
周知のとおり、このほどヴェルディ君がクラブのメインマスコットを「勇退」することとなり、ホーム最終節が行われた12月20日、そのセレモニーが行われた。試合後の味の素スタジアムには、Jリーグ開幕から共に歩んできた横浜F・マリノスのマリノス君が駆けつけ、さらには他クラブのマスコットたちのメッセージ動画も紹介された。その場にいた人たちは、感慨深く見守っていたことだろう。私は天皇杯の取材で現場にはいなかったが、あとからその映像を見て、何ともモヤっとした気分を禁じ得なかった。
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