宇都宮徹壱ウェブマガジン

【無料公開】あの日、あの取材をあの場所で(2005年9月27日 V・ファーレン長崎トレーニング@国見町=現・雲仙市)

 当コーナーでは試合だけでなく、練習取材やインタビュー取材なども取り上げていく。今から15年前の9月27日、設立されて間もないV・ファーレン長崎のトレーニングを取材。このクラブの前身は有明SCという。2004年の長崎県リーグを制し、さらに九州各県リーグ決勝大会でも準優勝して、有明SCはFC琉球と共に九州リーグ昇格を決めた。拙著『股旅フットボール』から、取材当時の関係者の証言を引用しよう。

「有明SCが、県リーグで全勝優勝しちゃったんですね。しかも、このシーズンだけ(ホンダロックSCがJFLに昇格したため)2チームが九州リーグに入れるチャンスだったんですよ。これを逃す手はないんじゃないかと、ですから、それこそフロント後回しの現場主導で走り出してしまったんです(笑)。あのときは、カネはそのうち何とかなるだろう。やってみりゃ何とかなるよって、そんな感じでしたね」

 かくして純然たるアマチュアチームは、長崎からJリーグを目指すクラブ、V・ファーレン長崎に生まれ変わる。高校サッカー界の伯楽、小嶺忠敏氏が翌06年3月に国見高校を定年退職することも、このムーブメントを強く後押しすることとなった。ちなみにこの日、トレーニングが行われたのは、国見高校の土のグラウンド。当時の所属選手は、原田武男を除いた全員が昼の仕事を持っていたため、練習は夜に行われていた。トレーニングウェアがバラバラなのも、クラブの黎明期を強く感じさせる。

 あれから15年、いろいろなことがあった。九州リーグでは地域決勝の分厚い壁に阻まれ、JFLではスタジアム規定が高いハードルとなり、それぞれ4シーズンの足踏みを強いられた。3年前には深刻な経営危機に見舞われ、ジャパネットホールディングスが株式を取得。翌18年には初めてのJ1での戦いを経験した。「サッカーには夢がある!」とは、髙田明前社長が繰り返し口にしてきた言葉だ。V・ファーレン長崎が歩んできた15年を想うと、その言葉の持つ重みにあらためて気付かされる。

<この稿、了>

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